「バタヴィア紀行(5)」(2020年06月23日)

われわれは二列縦隊に整列すると、軍楽隊を筆頭にして行進を始めた。駅の外の路上にい
たプリブミが、華人が、アラブ人が、時ならぬわれわれの行進をあっけに取られて眺めて
いる。われわれはしっかりした歩調でヴィレムスケルクWillemskerk教会とヘルトフスパ
ルクの前の道を、道路脇でわれわれを眺めているひとびとを横に見ながら美しいヴェルテ
フレーデンの軍用地区に向かった。

小石の敷き詰められた広い道の東側には、丁寧に刈り込まれた植栽に囲まれている白塗り
の大きなヴィラが並び、広い空間とバランスの取れたヴェルテフレーデンの美しさにわれ
われは感動した。

軍用地区に入ると、あちこちの兵舎からヨーロッパ人やプリブミの兵士が外に出て来て、
興味津々と新来の部隊を眺めている。汗びっしょりになっているわれわれを眺めて、自分
の初体験を思い出している者もいるにちがいない。

とある建物の前でわれわれを待ち受けていた将校ふたりが進み出てきて、われわれに号令
をかけた。「右向けー、進め!」われわれはその表門から中に入って行った。そこは補給
部隊本営だった。

中に入って隊列を組み直したわれわれの前に勲章をいっぱい胸につけた大尉が進み出てき
て点呼を行い、そして短い歓迎の訓令を述べた。最後に述べたのは、あまりたくさんアル
コールを飲まないこと、あまりたくさん果物を食べないこと、だった。

兵舎に入ったわれわれに、ベッドが割り当てられた。兵舎にはもちろん先住者がおり、そ
して想像もしなかったことには、なんと女がいて子供たちもいた。この話はもっと後のこ
とにしよう。


東インドの水浴スタイルも、たいていのヨーロッパ人にはなじみのないものだ。ここは大
きな共同水浴場になっていて、中にあるセメント造りの巨大な水槽に水が貯められている。

水浴場の中には、パジャマズボンとカバヤkabajaと呼ばれる丈の短い白シャツを着て入る。
タオルと石ケンを忘れてはならない。着ているものを脱ぐと貯水槽へ行き、小さい桶で水
を汲んで身体にかける。石ケンを頭のてっぺんから足の先まで身体になすりつけてからこ
すり、水で洗い流す。全身均等に石ケンを洗い流すために、桶が12回水槽を往復する。

終わればタオルで身体を乾かす。このマンディmandiという儀式は毎日三回行われるのだ。
早朝の起床の合図で起きてからすぐに、午前11時に朝の課業が終わったあとに、午睡が
終わって夕方の呼集が行われる午後3時前に。水浴場は営舎から少し離れているから、兵
隊はたいへんだ。

東インドで軍役を経験したベテランたちは、身体はもとより下着からはじまって生活のい
ろいろなフェーズで清潔さをたいへん重視し、おまけに自ら実践している。一日三回のマ
ンディのために、心身にしみついた生活習慣のたまものであるに違いないだろう。


水浴して汗を流してから、われわれは炊事場に並んで食事の配給を受けた。もちろん、ナ
シとサンバルという東インドの食事は、われわれにとっての初体験だった。

東インドでは温かい食事が一日二回出る。11時から12時までの昼食と夕食だ。夕食は
夜8時半に締め切られる。この日の昼食メニューは、スープ、飯、肉、サンバルだった。

生まれて初めてサンバルを目にしたフリースランド出身の仲間は、それをスープに混ぜる
ものだと思った。そして大騒ぎが起こり、かれはヤカン一杯の水を飲み干した。ともあれ、
かれのおかげでみんなはサンバルの食べ方をすぐに理解した。夕食メニューはキャベツと
缶詰ソーセージを温めたもので、デザートにバナナが付いた。

翌朝の食事はパンとバター、缶詰のサーモンにコーヒー。東インドの兵舎の食事は、オラ
ンダ本国よりはるかに豪華だ。朝食はたいていバンとバターに、チーズ・ハム・ソーセー
ジ・卵の目玉焼き・サーデンなどが必ず付く。アチェでは、駐屯兵の食事にチョコレート
プリンのデザートが付くそうだ。

ヨーロッパ人はたいてい主食をジャガイモにしているが、東インドでは地元の産物である
米を食べなければならない。そして飯にはサンバルが必ず付く。東インドの味覚がこのよ
うにして形成されて行く。[ 続く ]