「バタヴィア紀行(6)」(2020年06月24日)

日曜日の朝、ヘンドリックとティマースマとわたしの三人は兵舎を出てスネンに向かった。
パサルスネンはいつ来ても賑やかだ。われわれはメステルからやってくるトラムを待ちな
がら、活気あふれるスネンの情景を楽しんでいた。

パサルスネンはヴェルテフレーデンの一部だが、雑然としていて美的な秩序が感じられな
い。アムステルダムの街をすみずみまで彷徨しつくしたわたしのような者の目には、構成
美が欠如していて混乱の渦にしか見えない。でも楽しいには楽しいのだ。

われわれが立っている道端の木陰には華人の床屋がいて、順番を待っている大勢の客を手
早く処理している。といっても、そこに集まっている大勢のプリブミの中の客は一部だけ
で、他は友人や仲間が連れ添って来ているだけだ。かれらはきっと将校邸で働いている下
男や女中だろう。みんなは床屋の周りにしゃがんで、円を描いている。

辮髪の緑陰床屋はいろいろな散髪道具を巧みに操って、実に手早く仕事を進めて行くが、
手に持っているのは散髪道具だけでなく、水を含ませたスポンジも片手に持っている。床
屋が手にかけているのは頭髪だけでなく、耳・目・鼻の穴まできれいにしているのだ。


と突然、思いがけないことが起こった。しゃがんで床屋の舞台を眺めていた群衆がいきな
り遠くを指さして叫び声をあげ、立ち上がって逃げ出したのだ。蜘蛛の子を散らすように
して群衆と、床屋と散髪の終わっていない客までもが一斉に走り出した。

指さされた方角を見ると、一頭の暴れ馬がちょうどこちら目掛けて駆けて来るではないか。
すると隣にいたティマースマが進み出て馬の進路に立ちふさがると、大手を広げて馬を止
め、なだめてしまった。スネイク出身のかれは、馬蹄作り職人の息子だったのだ。馬の扱
いに慣れているのも当然だ。

馬の後を追って走って来たプリブミの少年にかれは手綱を握らせた。少年は息を切らせな
がらムラユ語でティマースマに何かしゃべっていたが、多分礼を述べていたのだろう。わ
たしの耳は、その中に混じっていた言葉「トアンカプテンTuan Kapten」だけを聞き取る
ことができた。

そしてほどなく、そのトアンカプテンが出現したから、わたしはその言葉の意味している
ところが腑に落ちた。馬の持ち主の大尉殿は、パジャマズボンに白い上着、そして大尉の
軍帽をかぶってやってきた。

かれはティマースマの巧みな馬裁きの能力を賞賛し、歩兵兵士でこれほどの能力を持つ者
は稀だとほめた。そして「東インドでもうどのくらいになる?}と尋ねたから、「数日前
に到着したばかりです。」と答えると、大尉殿は三人に葉巻をくれた。ティマースマはさ
らに札束までもらった。

「われわれはこれからバタヴィアを見て回るんです。」と言うと、大尉殿は三人それぞれ
に25センをくれた。


世話係の少年が馬を連れて去り、大尉殿も立ち去ると、しばらくして遠くから蒸気トラム
の鐘の音が聞こえて来た。オランダとそっくり同じだ。三両の客車を引いている先頭の蒸
気機関車にはオランダ人の運転士ひとりとプリブミの助手ふたりがいて、運転操作に余念
がない。

トラムが止まったので、われわれは乗り込んだ。プリブミの車掌がふたりいて、立派な制
服を着ているが、はだしだ。車掌頭は軍を定年退職したヨーロッパ人のようだ。客車は一
等から三等まで、クラスで分けられている。クラスごとに料金が違い、三等は極端に廉い。

プリブミでも料金さえ払えば一等二等に乗って構わないそうだが、それをするのは金持ち
上流層だけのようだ。プリブミ一般庶民は三等のほうが居心地が良いのかもしれない。不
思議なことに、華人・アラブ人・ヨーロッパ人が三等に乗るのは許されないという決まり
が定められている。東インドにおけるオランダ人のレーシズムの一端がそこに反映されて
いるのかもしれない。

ティマースマがもらい物の葉巻を車掌頭に進呈したため、車掌頭はわれわれのガイド役に
なってしまった。トラムはヴェルテフレーデンを左に見ながら北上していく。車掌頭は車
窓から見える、目立つ建物を逐一、説明してくれる。[ 続く ]