「バタヴィア紀行(11)」(2020年06月29日)

この劇場は後に立派な恒久的建物に建て替えられ、タリアThaliaという名称が付けられた。
出し物は地元プリブミや華人向けの演劇やオペラで、ローカルの劇団が上演した。芝居見
物にやってくるのはプリブミや中華系・インド系・アラブ系の一般庶民が大多数を占め、
プリマドンナが生まれては消えて行った。千一夜物語など古いペルシャの題材を主に扱っ
た芝居がコメディスタンブルKomedie Stamboelと呼ばれて大衆の人気を集めた。

ムラユ劇場を超えて少し行くとモーレンフリートが終わる。その北側に巨大な建造物が恐
ろし気な姿をさらしているのが見えた。「あれがグロドッGlodokだ。さっき見た強制労働
の囚人たちはあそこから来てるんだ。」と車掌頭が言う。その時代、グロドッと言うだけ
でグロドッ刑務所を意味する用法があった。

トラムの左側にはスラムのようなグロドッ広場Glodokpleinがあり、兵士や水兵がかび臭
い華人の飲み屋でとぐろを巻いているのが見える。そこでは自家製のアラッarakが売られ
ていて、廉価だが健康には有害なものが混じっている。


プリブミがプチナンpecinanと呼んでいるバタヴィアの下町華人街を見て回るには華人地
区の最前線に当たるグロドッから始めるのが順当だから、われわれは車掌頭に謝辞を述べ
てから、このグロドッ広場停留所でトラムを降りた。広場の左側は華人の飲み屋、アヘン
吸引所、廉価ホテル、種々の店などが並んでいる。廉価ホテルのオーナーはたいてい日本
人や華人だ。

われわれはこの辺りを周遊するためにサドを雇うことにした。近くにいたサドの兄ちゃん
はわれわれの意を理解したように見えたが、先に金を払えと言っているようだ。どうやら、
兵士は信用されていないのだろう。1センコインを数枚、兄ちゃんの手に握らせたら、に
っこり笑って御者台に登ったから、われわれもすかさず車に乗った。わたしは御者の隣で
前向きに座り、ヘンドリックとティマースマは後で後ろ向きに乗った。御者が馬に数発鞭
をくれると、馬は歩き出した。

サドはグロドッ広場の右側を行く。華人の店舗、狭い道、古ぼけた運河。ここの華人街の
風情はわたしの育ったアムステルダムのヨルダアン地区を思い出させてくれる。狭く曲が
りくねった道は果てしなく続き、運河沿いに立木が並んでいる。ここに住んでいる華人は
2万人超だそうだ。賑やかで、活気にあふれている。

独特の中華風建物の窓や扉から、建物の中に飾られている祭壇が見える。祭壇の両側には、
金色で書かれた漢字の並んでいる赤地の長い紙、祭壇の上には種々の色で描かれた絵が吊
るされている。絵はふたりの衛士を従えた大伯公Toapekongだ。衛士は赤い顔と黒い顔を
している。祭壇には赤く太いローソクと線香、そしていろいろな物が置かれている。

華人は飲食・売買・口論・喧嘩・化粧・散髪・料理・油揚げ物などを路上で行っている。
そこに歩行者が入り混じった上に、その間を縫うようにしてサドが通り、荷車が通る。そ
れはたいへんに面白いショーでもある。ただ、そこに漂っている匂いは、われわれの忍耐
力を超えていた。すさまじい臭いを放つトゲのある果物から、大根、そして焙った豚肉。
アムステルダムの放浪者だったわたしにも、華人の食べ物の匂いになじむことは絶望的で
あるように思われた。

隣に座った御者は残念なことに、オランダ語を一言も知らない。わたしが何か尋ねても、
かれはただ笑うだけだ。かれの痩せ馬を鞭打つ勢いは強く、わたしは不運なその生き物が
かわいそうになった。わたしの目から見て、そんなに強く打つ必要はないように思えるの
である。おまけに膝の位置が快適でなく、ヘルメットは車の屋根につかえていて、そこに
座っているのがだんだん苦痛になって来た。

サドは小さい運河をまたぐ跳ね橋を通過し、運河に接して建てられている古い中華風住居
の並びがわたしの目に映った。アムステルダムの貧民街が思い出されて、感傷的な痛まし
い気持ちになった。


グロドッ中華街に入ってからというもの、バタヴィアで警官の補助役opasを務めているプ
リブミの姿をほとんど目にしなかった。ただ、だらだらぶらぶらしているようにしか見え
ないオパスの姿は実に珍妙で、よく目立つのだ。真っ黒なウール様の生地でできた制服に
大きな黄色い徽章を付けているため、バタヴィアではカナリア鳥burung kenariと呼ばれ
ている。[ 続く ]