「ジャムゥゲンドン(1)」(2020年06月29日)

ゲンドンgendongというインドネシア語は、公式定義では背負うことを意味している。と
ころが実際にはgendong depanという前抱きやgendong belakang背負うことの両方に使わ
れており、逸脱が行われている印象だ。こうなると、gendongという言葉だけに該当する
日本語が存在しなくなる。

ジャムゥゲンドンjamu gendongとは背負子に入れて背負って歩きながら売り子が販売する
ジャムゥを意味しており、それを販売する売り子を指しているわけではない。正式にはジ
ャムゥゲンドン売りpenjual/penjaja jamu gendongがそれを売り歩いている老若のお姉さ
ん方を指す呼称なのだが、ジャムゥゲンドンという商品がそのビジネス呼称になり、更に
は販売者を指すようになってしまったから、老若の売り子お姉さんをジャムゥゲンドンと
呼んでも差し支えはあるまい。

おまけに老若お姉さんの中には、それを背負わないで前抱きに抱えて売り歩くひともいる
ので、言葉の公式定義から離れて行く一方だ。言語とは融通無碍なものである。


2004年10月のある早朝、東ジャカルタ市パサルボParar Reboのグドン部落Kampung 
Gedongの家々では、日の出はまだまだ先だというのに、老若のお姉さんたちはもう起き出
してジャムゥ作りに余念がない。このひとたちはジャムゥ巡回販売の朝回りをするのであ
る。夕方回るひとは朝普通に起きて、午前から午後にかけてジャムゥの調合と煮汁作りを
行う。別に営業時間が割り当てられているわけではなく、本人が朝夕売り歩きたければそ
うするし、金とスタミナの都合でしたくないなら、しないで済むに越したことはない。

夜明けはまだまだ先の未明に、煮汁がビンに詰められて籠に置かれると、出立の準備オッ
ケーだ。籠に入っているのは、それだけではない。工場で作られ市販されている粉末ジャ
ムゥ、そしてハチミツに生卵。客の需要に即した商売のタネをとりそろえ、近隣の部落を
巡ってルピア集めに精を出す。自分の脚と背中だけを頼りにして、その重い商品をかつぎ
ながら何キロもの距離を歩く巡回販売のたくましい女性たち。汗が全身を浸し、脚が棒に
なっても、ガラス瓶が空になるまで、かの女たちは歩き続ける。自己を消耗しつくした一
周の成果はせいぜい2万から3万5千ルピア。でもそれが生き延びるための原資になる。

「あたしゃ、前は工場で働いてたんだけど、解雇されたの。それで叔母さんがジャムゥを
作って行商することを教えてくれたんで、ちょっとでも生計の足しになればと思ってこれ
をやってます。あたしゃ子供のころからジャムゥを飲んでたから、作り方もだいたい分か
ってるし。ジャワ人だったらたいていがそうでしょう。ジャワの伝統文化なんだから。」
四十代と思われるウォノギリ出身のマルヤッニさんはそう語る。

ジャワの伝統文化であるジャムゥがかの女の生活に生計面で役立っている。マルヤッニさ
んの毎日の暮らしは、今やジャムゥに彩られたものになってしまった。ジャムゥの素材ス
パイスを買い、加工し、調合し、煮汁を作る。

何を使い、どのように加工と調合を行うかは基本線で違いがないとはいえ、ジャムゥ作り
たちが行っているプロセスはさまざまだ。素材を砕く者、挽く者、細切りにする者、粉末
を買って来て混ぜ合わせる者、ブレンダーを使う者。だが最終段階でできあがる煮汁は似
通ったものだ。


インドネシアの自然は豊かなフローラを育んだ。3万種の植物がこの地に生育し、その中
に8千種の薬用植物が含まれている。しかし伝統医薬品の素材として使われているものは
まだ数百種にすぎない。ジャワ人はその伝統医薬品素材とそれで作られる製品をジャムゥ
と呼んだ。ジャムゥの代表的素材はショウガjahe、バンウコンkencur、ターメリックku-
nyit、ジャワジンジャーtemulawak、ピンクブルージンジャーtemu ireng、カルダモンka-
pulaga、ナンキョウlengkuas、ビタージンジャーlempuyangなどだ。 

ジャムゥを用法から区分すると、擦りおろしジャムゥjamu pipis、熱湯で淹れるseduhan、
煎じるinfus、粉末状serbuk、錠剤pil、カプセルkapsul、シロップsirup、塗布param、湿
布pilis、肌に塗るlulur、粗いルルールmangirなどがあり、その中でもっとも古くからな
じまれているのがpipisとseduhanだ。ジャムゥゲンドンが売り歩いているのもそれである。
[ 続く ]