「ヌサンタラのイタリア人(終)」(2020年07月28日) だが、中世にアジアを旅したイタリア人がかれらのみだったとは考えにくいことだ。もっ とたくさんのイタリア人が旅行記を書き残した可能性は大きいのだが、それらの手記は各 地方の古い文書館や図書館にひっそりとしまい込まれているのかもしれない。古いインド ネシアの情報がもしもそんな中に見つかったなら、インドネシアの歴史学をもっと発展さ せる重要資料になるだろう。 言うまでもなく、そこに書かれた情報がバイアスのかかっているものである可能性もある。 反対に、われわれが既に共有している上述のひとびとの見聞記がバイアスから免れている という保証もないのだ。資料が増加することによって、バイアスは平準化されていくこと になる。そのためにも、もっと多くの資料が発見されることが期待されているのである。 もっと最近、とは言っても百数十年前のことなのだが、イタリア人人類学者が蘭領東イン ドのニアス島で調査を行った。1886年4月22日から9月15日までの146日間、 フィレンツェ出身の人類学者で動物学者でもあるエリオ・モディリアニElio Modigliani がニアス島に暮らして調査研究を行ったのである。 当時のニアスでは首狩りなどの伝統的慣習がまだ行われていたが、今では文明化されたた めにその慣習は姿を消してしまった。モディリアニは人間の頭骨26個を含むニアス原生 種の動植物標本多数をイタリアに持ち帰った。それらの資料はジェノヴァの自然史博物館 Giacomo Doriaとフィレンツェの人類学民族学博物館Antropologia ed Etnologiaに今でも 保存されている。 モディリアニはその時の体験記をViaggio a Niasと題する著作にして1890年に出版し た。イタリア語で書かれたその書籍には、ニアスのひとびとが歩んだ文明史が詳細且つ包 括的に記されていて、内容は手工芸品・伝説・伝統歌謡・戦争技術・伝統医療など広範囲 に及んでいる。さらにかれはニアス語=イタリア語の辞書まで作成した。 モディリアニの著書「ニアスへの旅」の原書の一冊がシトリSitoli山の博物館に長期間保 管されていたのを、2004年の津波と2005年の地震のあと、罹災復興とリハビリの ために派遣された国際機関作業者ヴァンニ・プッチオーニが知った。かれにそれを教えた のはカプシン修道会のヨハネス牧師だった。 かれはモディリアニの業績を跡付けることを決意して調査を開始し、Tanah Para Pendekar - Petualangan Elio Modigliani di Nias Selatan Tahun 1886と題する376ページの大 作をものした。インドネシア語のこの書はジャカルタで製作され、イタリア文化センター が発行者になった。 当時首狩りの風習をたっぷり残していた南ニアスに入り込み、調査を果たして無事に文明 社会に戻って来ることのできたモディリアニの前代未踏の業績は人類が持った多様性に対 する人類の知的好奇心のたまものだったと言えるにちがいあるまい。 プッチオーニによれば、ニアスから戻って来たモディリアニはその後スマトラ北部のバタ ッBatak族や母系制社会のエンガノ島の調査を行い、ニアスを再訪することはなかったそ うだ。モディリアニは1892年と1894年にTra i libri Batacchi(自由なバタッ族 の間で)とLisolla delle donne(女たちの島)と題する著作を出している。[ 完 ]