「ヌサンタラのポルトガル人(4)」(2020年08月01日) 言語もそうだ。16世紀にはヌサンタラの各地でポルトガル語がリングアフランカのひと つになった。いや、もっと広く東南アジアでの、と述べても過言ではあるまい。オランダ 人がヌサンタラにやってきた初期のころ、各港で有利な交易を行うためにかれらはポルト ガル語を学ばなければならなかった。バタヴィアは最初から人種のるつぼとして建設され た町であり、18世紀ごろまでバタヴィアでのリングアフランカはムラユ語とポルトガル 語が使われていた。オランダ語はオランダ人が関わっている場でしか使われなかったよう だ。 だからたくさんのポルトガル語彙がヌサンタラ居住民の語彙の中に浸透した。氏は80個 近くのインドネシア語を確実にポルトガル語源だと見なしている。その一方で、面白いこ とに、インドネシア語のBelandaというオランダの国名がポルトガル語Holandaに由来して おり、またインドネシア語Inggrisというイギリスの国名もInglezというポルトガル語に 由来しているという定説をかれは確信が持てないとしている。 理由が書かれていないので同氏の見解が分からないのだが、日本語のオランダもイギリス もポルトガル語源が定説であるという話を聞いたら、かれはどう反応するだろうか?イン ドネシアではオランダの国名がHolanda→Olanda→Wolanda→Bolanda→Belandaと変化した とされており、最初のHolandaはポルトガル語だというのが定説になっている。 同じポルトガル語彙がインドネシア語になり、また日本語にもなったと見られるものがい くつかある。 ポルトガル語 ⇒ インドネシア語 : 日本語 bolo ⇒ bolu : ボーロ caldeira ⇒ kaldera : カルデラ sabao ⇒ sabun : シャボン tabaco ⇒ tembakau : タバコ veludo ⇒ beludru : ビロード インドネシア語の大砲meriamがポルトガル語源であるのは有名な話であり、その語がマリ アのアラブ語マリアムを強く連想させるために、大砲を撃つときにポルトガル人がマリア の言葉が入った何らかの句を叫んでいたのではないかということが推測されていた。フラ ンサ氏もこのインドネシア語は戦争時にポルトガル人が行った雄叫びpor Santa Mariaに 由来しているのではないか、と推測している。 何世紀も昔にポルトガル人が足跡を印した地方を巡って祖先が残した遺産が地元文化にど れほど生き残っているかについて調査したフランサ氏のこの論文からわれわれは、ポルト ガル人がそれぞれの地方にどれほど深く関わったかということを知ることができそうだ。 それはたとえば、それぞれの種族語/地方語の中に残っているポルトガル語源の単語の多 さにも出現する。氏が挙げている語彙数は次のようなものだ。 ブタウィ 2 中部ジャワ 4 アンボン市内 77 アンボン市外 36 スラウェシ 27 フローレス 223 ブタウィの中にカンプントゥグは含まれていない。トゥグでは最初からポルトガル語がコ ミュニティの日常言語になっていたのだから、それを収録すれば辞書が一冊できあがる。 ただし現代のトゥグは種族色の消滅したインドネシア社会に変質しており、非ポルトガル 系住民の大海にポルトガル系子孫の海流が混じっているようなありさまになっている。か れらはインドネシア人としてのアイデンティティを強く持ってインドネシア社会の一部に なりきっているため、かれらの祖先たちが使っていた言葉を使える人間は現在ほぼいなく なっているのが実態のようだ。[続く]