「ゴルパラ茶(前)」(2020年08月05日)

インドネシアのスーパーやハイパーのローカル茶葉売場には、たいていGoalparaというブ
ランドの茶葉が売られていた。今でもまだ置かれていると思うのだが、影が薄くなってい
る印象も、無きにしも非ずだ。

1970年代前半にジャカルタでこのブランドにお目にかかり、ブタウィのひとびとはそ
れをゴルパラと発音していたから、名前の印象からしてインド語だと思い込み、そういう
発音をするものだと思っていた。ところがもっと後になってこれがインドネシア産である
ことを知り、インドネシア産であればどうしてゴアルパラと発音しないのか疑問に思った
のだが、そんな疑問を抱く方が思い違いであることがわかった。

グーグル翻訳で発音を聞いてみると、英語オランダ語をはじめ、たいていのヨーロッパ語
はゴルパラと発音しているし、ヒンディ語もインドネシア語も発音はゴルパラと聞こえる。
ところが日本語のグーグル検索ではすべからくゴアルパラと表記されており、何語での発
音を基準に据えているのか不可解だ。ゴアルパラというのは本当に発音から取られた表記
なのだろうか?外国語のカタカナ表記は音を原則にしており、綴りのローマ字読みではな
かったはずなのだが、この原則はインターネット時代に崩壊してしまったのだろうか?


このゴルパラ茶農園はオランダ植民地時代にスカブミ県のグデ山の山腹に開かれたもので、
バンドン郊外のマラバルMalabar茶農園と同じように、インドの地名から名前が取られた。
インドのゴルパラという地名は元々インド語のGwaltippikaを由来にしており、そのイン
ド語は「ミルク作りたちの村」を意味しているとインターネット記事に記されているが、
ミルクよりも茶との関わりの方が深くなったのかもしれない。

インドのゴルパラから持って来たアッサム種の苗がそこに植えられたため、農園の名前も
ゴルパラにしたというのが歴史的経緯であると説明されている。現在ゴルパラ茶農園の本
社住所はスカブミ県スカラジャ郡チサルア村になっている。


ゴルパラ茶農園が最初に開かれたのはスカブミ県プルバワティPerbawatiで、1886年
2月6日のことだったそうだが、それがコンセッションを得た日なのか、現地で土いじり
が開始された日なのかはよく分からない。この事業を最初に興したのはバタヴィア農園会
社Cultuur Maatschappij Bataviaだったものの、1892年にゴルパラ農園会社Cultuur 
Maatschappij Goalparaがバタヴィアで株式4百株を一株5百フルデンで売りに出した。

東インドに株式市場がまだ存在しない時代のことだったから、この株式売買は売り手と買
い手の直取引の態をなしたようだ。アジアでは、1830年にボンベイ、1871年に香
港、1878年に東京で株式市場がオープンしていた。バタヴィアには1912年12月
14日にアムステルダム証券取引所が東インドで市場をオープンしたのが事始めで、アジ
アでやっと四番目になったのだが、それはゴルパラ茶農園の株式売渡しに刺激されたから
だという説がある。

その当時、東インドの茶農園事業は昇竜の勢いであり、農園事業主たちは事業拡大のため
の資金を喉から手が出るほど欲しがっていたから、株式売渡しという表現になってはいる
ものの、それは出資者集めのための新株発行だったのではあるまいか。

ともあれ、バタヴィア農園会社がいつゴルパラ農園会社に変わって株式売渡しを行う名義
人になったのか、その辺りの経緯はよく分からない。茶葉加工工場の操業開始は1908
年だそうで、事業は好調に進展し、1933年には農園が80Haほど拡張されている。
[ 続く ]