「ヌサンタラのポルトガル人(終)」(2020年08月09日)

フランサ氏は中部フローレスのマウメレMaumereを訪れて、現存するシッカ王に面会した。
インドネシア共和国には、独立以前に各地を支配していた王たちが大勢存在する。かれら
はいまだに王統の系譜を守り続け、第何代目の王という形で先祖伝来の一族の資産である
王宮に暮らしている。だが、共和国独立時に領土領民をインドネシア共和国に提供したか
れらに、住民に対する支配権はない。かれらはただ、誇るべき王家という家系を維持する
ために王位に就いているのである。

シッカ王ドン・センティス・アレイス・ダ・シルバDom Sentis Aleixu da Silvaは先祖が
カトリックに入信して以来ポルトガル人にもらったさまざまな衣装とシンボルを身に着け
てフランサ氏と対面した。それらは何百年もの間、相伝されて来たものなのだ。

1607年の年号が記された黄金の兜、大粒の黄金球を繋ぎ合わせたネックレス、支配者
の象徴である黄金の指揮杖。王家一族の宮殿であるその屋敷には、象牙で作られた子供姿
のキリストの像が置かれている。


シッカで祝われるクリスマスは、ポルトガル文化そのものだ。朝からポルトガル語の芝居
が上演される。フランサ氏がもらったその脚本は、全編がポルトガル語になっているのは
疑いようがないのだが、正しいポルトガル語表記から外れている綴りの単語や、あるいは
文全体がブロークンなものになっていて、意味がつかめないものなどが入り混じっている。

数百年間、何世代にもわたって継承されて来た芝居のセリフに文化的な癒着が起こったこ
とは想像にあまりある。長期に渡ってポルトガル人がやってこなければ、言語が崩れても
修正されることがない。だがそんな枝葉のことよりもっと重要なのは、シッカの民衆がポ
ルトガル文化をうち捨てることなく、伝統として維持し続けていることだ、とフランサ氏
はこの事実を受け止めている。

芝居の内容は、ひとりの娘がどのような男を夫に選ぶべきかということを風刺的に描いた
ものだ。娘を妻にと申し込んでくる男たちが入れ替わり立ち代わり登場する。画家・貴族
・船乗り・酔いどれ・金細工師・ギャンブラー・王子・・・
娘は最後にやってきた商人を夫に選ぶ。「楽しい人生を送るために、わたしはお金を持っ
ているひとの妻になるのよ。」が幕閉めのセリフだった。


シッカ王の王位継承が行われるとき、民衆はひとつの長い決まり文句を口にする。Viva 
Altissima Senjhor Don Alexius Alexoe Ximones da Silva El Rei sei boa saudi El 
quam Deus nosa Senjhor de longa wida permanosa El Rei reinjho da Sikka. Da 
blaixo de Lisboa.

フランサ氏はこれを、リスボンのポルトガル王がシッカ王に宛てて書いた手紙の一節では
ないかと推測している。一生の間に何度も起こるわけでない王位継承儀式の際に口にする
ために、民衆はその文句を覚え込むようだ。


ララントゥカやアドナラでも、フランサ氏はたくさんのポルトガル文化の遺産を見出して
いる。16〜17世紀にかけての150年間にひとつの勢力としてアジアにやってきたポ
ルトガル人が、アジアにとって初めての西洋文明をもたらした。そんな形で始まった西と
東の融合が、数百年かけてひとつの遺産を作り出した。

しかもポルトガル人をヌサンタラから駆逐したオランダ人が、ポルトガル人が植え付けた
ものを徹底的に消滅させようと努めたにもかかわらず、それらの疾風怒濤の数世紀を越え
た今日、われわれの目に映っている姿はこのようなものなのであり、それは文化を仲介に
した人間同士のつながりが産み落とした遺産であるとフランサ氏は論説を締めくくった。
[ 完 ]