「トバ湖の茶農園(前)」(2020年08月10日)

北スマトラ州トバ湖の北東部を囲むシマルグンSimalungun県にも茶農園が広がっている。
シダマニッSidamanik、バッブトンBah Butong、トバサリToba Sariの三農園がそれぞれあ
まり離れていない距離に設けられている。

ジャワ島ではたいていの農園が海抜1千メートルを超える高所に作られているが、トバ湖
周辺の茶農園は地形がその条件を満たしてくれず、だいたい海抜8百から9百メートル程
度の高さになっている。

もともとトバ湖周辺には6つの茶農園があった。1986年ごろは茶葉生産の黄金期で、
バッブトン産茶葉をドイツの紅茶メーカー「ヒルソン&リヨン」が製品の中心部分に取り
上げたこともあって業績は大いに上昇し、事業利益の大部分をバッブトンが担ったことも
ある。ところがそのあと、茶葉の国際相場が低下の一途をたどり、茶葉が会社の利益を食
い尽くす不良製品になったことから、この地区の農園運営を行っているメダンの第4ヌサ
ンタラ農園会社PTPNIVは上の三茶農園だけを残して、他の茶農園をパームヤシ農園
に転換してしまった。


第4ヌサンタラ農園会社の管理運営下にある農園中のもっとも古いのはバッブトン農園で、
オランダ商業会社Nederland Handel Maatschappijが1917年に開発した。そのため、
茶葉関連分野での国際的な知名度では、バッブトンの名があたかもトバ湖周辺の農園を代
表するような位置付けになっている。

バッブトン農園管理マネージャーの話によれば、マレーシアのクダッKedah州でバッブト
ン産ダスト1の茶葉が熱狂的な愛好者を生んでおり、「バッブトン茶でなきゃ飲まねえ
ぞ。」ということを言うひとがいるという話を耳にしているそうだ。

ドイツのヒルソン&リヨンが同社製品の核部分にバッブトン産茶葉を用いたとき、同社の
さまざまなブレンド茶葉の製品ラインナップはバッブトン茶葉のアロマと味覚がそれらの
決め手になっていた。「リプトンのイエローラベルはスリランカ産茶葉が使われている。
スリランカの茶葉が混ぜられなければ、それはイエローラベルと言えないものだ。ヒルソ
ン&リヨンにとってのバッブトン茶葉と同じだと言えるでしょう。」

ヒルソン&リヨンは1986年にその戦略を開始した。そのとき結ばれた供給契約は長期
のものだった。ところが、4年後にヒルソン&リヨンは契約解消を申し入れて来た。

バッブトン農園製茶工場品質選定人のひとりはその展開の裏に、産品の品質面での変化が
あったのではないかと推測する。

「特定ブランドのブレンド品の基本風味を決める茶葉は、品質だけでなく風味にも変化が
あってはならない。一貫して同等のものが作られなければ、その商品に使えなくなる。そ
れを気に入って使い始めた消費者は、風味が変わるとそれを相手にしなくなる。風味が変
わらないように維持するためには、品質選定を行うテースターの能力が重要になって来る。
テースターは、そのロットの品質の良し悪しを決めるだけでは足りないのだ。長期契約を
結んだ相手がいる場合、いくら品質が良くても風味が変われば契約相手に不満が生じる。
そのようなことまで含んだ選定作業を行わなければならない。」イギリスにティ―テース
ターの仕事を学びに行ったその選定人は契約解消の裏にあった状況について、かれの意見
をそう語っている。

茶葉産業の品質管理チェーンを生産の初めから終わりまで監視するのがティ―テースター
だとかれは言う。茶木の芽と葉を摘むところから始まり、工場での加工、そして茶を淹れ
る段階に至るまでを品質面から一貫して注目する役割がティ―テースターにあるというこ
とが、インドネシアではまだ十分に理解されていない。だからそれを行える能力を持つテ
ースターがインドネシアには育たず、必然的にインドネシアの茶葉産業は常に障害に行き
当たってビジネスがしぼむ結果を余儀なくされる。茶葉の大生産国であるにもかかわらず、
国際市場への進出が滑らかに行かない原因のひとつがそれだ。バッブトン農園にはその仕
組みが存在しなかった。[ 続く ]