「ヌサンタラのフランス人(31)」(2020年09月09日)

オランダ人の到来にもかれらは元来のその性質を維持し、それどころか自己卑下すら示し
て来航者を心地よくさせようと温かい姿勢を見せた一方で、自分の意見はしっかりと保持
した。原住民にとって来航者は大切な対象であるために、かれら生来の習慣になっている
沈黙で自分の信念を保持するのである。傲慢な言葉や酷薄な振舞いの来航者たちはブルジ
ョア的と見なされ、その評価は口伝で広まった。来航者たち自身はそんなことをたいして
気にも留めなかっただろうが、時には黄色い顔に浮かべられた微笑みに驚かされることも
あった。それが敗者を包んだ怨恨からの報復だったのである。ヨーロッパ人の嘲弄・高慢
・侮蔑・粗野な扱いに対するジャワ人の丁重さは、ヨーロッパ人をして自らの偽善性に思
いを致さずにはおかない。

ジャワ人は沈黙を選び、自分と一緒にいる人間を好ましい人間に仕立てる。誰しも、好ま
しい人間と一緒にいたいものだ。かれらは自分の主人の心をつかむのが巧みだ。ヨーロッ
パ人はそれを偽善と言い切れるだろうか?偽善とは自分の利益のためになされる悪行だが、
ジャワ人が他人の前で自分の感情を秘匿することは悪行を行っているように見えない。他
人の気持ちを心地よくする意欲や教育はかれらにとって当たり前のことであるかのようだ。
かれらは本能でそれを行い、自分と一緒にいる人間の心を裸にするのである。

卑怯者のモラルに加えて、かれらの最悪の弱点はビューロクラシーへの情熱である。過去
三世紀の貴族性にもっとも誇りを抱く者は一番の金持ちで自分の居所周辺に広大な土地を
有し、富を運営する一族との取引が大好きで、行政面での自分の地位や政府機構内の職位
に少しも満足していないひとびとだ。それを駆るのは民衆の苦難や野望などでなく、傲慢
さなのである。ひとは権力者になったと認められるまで権力を追求する。ひとはかつての
父親の地位を受け継ぐだけだったり、それより一段上に上昇したくらいでは満足しない。
同等の者たちの前で自己の威厳を低下させるようなことはしないのだ。そして誰もがその
ような思考パターンの中にいる。


ジャワ社会では、ひとびとは行政やかれらの宗教から教育を受ける。社会階層は過去の遺
物のままだ。三人の息子たちはそれぞれが異なる道を歩む。長男は最初から行政機構に入
って、将来は父親の役職を継承する。次男はモスクの学校に入って将来はメッカ巡礼を行
い、更に聖職者になるためのイマムの大学に学ぶ。兄たちがそれぞれの道を歩む一方で、
末っ子は育った家庭環境の中でただ結婚し、一家の財産を運営管理する。

社会に大きい影響をもたらす征服者の精神をかれら三人が持っていないなら、かれらは自
由に振舞い、偏見に満ちた上位階層から賞賛を与えられるだろう。自分の階級から逸脱し
たと判断された者には、貴族性の評価が低められる。そうなれば、遠い祖先から受け継い
で来た社会への影響力が失われる。

この社会は農耕を卑しい仕事と考えている。商業も工業も同類項であり、また学問知識を
も重視しない。文学さえも、やむをえず宗教を受け入れるまでかれらは認識していなかっ
たと言える。宗教をかれらは外面的に半身で行っているだけであり、迷信を相変わらず信
じている。かれらがありがたがっているのは政治権力だけなのだ。

かれらと金銭の話をしてはならない。かれらはそれにまったく関心を払わないのだから。
かれら以上に金遣いの荒い人間が世界のどこにいるだろうか。最高の地位にいる者から末
端庶民に至るまで、全員が首まで借金に浸かっている。それは内政に影響を与えるが、し
かしながら・・・・。
かれらが得るのは金銭なのだろうか?商売で得られるものは何か?華人にとってはそうだ。
利子は?アラブ人にとってはそうだ。工業からは?ヨーロッパ人にとってはそうだ。貯金
からは?マドゥラ人の中に何人かいるが、そんなことを考える人間がどれほどいるだろう
か。違うのだ。尊敬される金、ありがたい金、それは政府から得られる金であり、税から
得られる金である。それがかれらの信条なのだ。われわれはそれを変えようと努めている
が、遅々としてはかどらない。ジャワの最下層はいまだに役人の影響に満ちている領域な
のである。[ 続く ]