「ヌサンタラのフランス人(32)」(2020年09月10日)

宗教者の数はきわめて少なく、ましてやモラルを持つ者においておや。反対に、大部分が
迷信を信じている。歴史と自然が一体と化してかれらを襲ったために、信仰を持たない者
はいない。ヒンドゥ・ムラユ・中華の伝統によってその三種族が続けざまに形成された。

世界でもっとも豊富な空想力と伝説に満ちた三種族だ。かれらの神話がジャワ人に下って
来た。もちろん自然も大きな役割を果たした。獰猛な生き物を擁するジャングルや火を吐
く山々が住民の生命に恐怖を満たし、信じることを容易にした。先祖がワニであることを
信じる者。国政指導者たちがトラを尊敬し、部下たちは当然のようにそれに従う。龍がこ
の大地を守護している。・・・


男は優しくて善き夫であるという現象がこの領域での常識であり、妻たちは完璧にイスラ
ムの教えに支配されている。しかし仕組みによって定められたものを慣習が壊している。

同等階層の者同士の婚姻でないケースに出会うことは滅多にない。同じ社会ステータスの
妻が夫の傍らにはべるのである。東部地方に行けば残酷な男の話に事欠かないのだが、ジ
ャワでは部屋の鍵を妻が握る。妻が家庭内を整え、商売し、家計を統括する。妻が出費を
統御し、寄付金を出し、そして不平を言い立てるのである。

かの女たちの歩く姿を見てみるがいい。閉鎖的なひとりの女の姿。時にはショールで頭を
包み、イタリアの処女たちのような優雅さを示すが顔は隠さない。短いサルンは脚と腕と
腰を歩きながら垣間見せる。この地方の宗教がイスラムであっても、イスラム国家の女奴
隷とまるで異なるものをあなたはそこで目にするだろう。そこにはキリスト教の影響が及
んでいるようだ。


これから述べるヨーロッパ社会とオランダ植民地生活というのは多分大げさすぎる表現の
ように思われる。ヨーロッパと呼んでいる内容のほとんどがオランダ人なのだから。範囲
をもっと狭めてみよう。1千人台のドイツ人、2〜3百人のイギリス人、フランス・スイ
ス・ベルギーなどはだいたい同数で、残りは全部オランダ人なのだ。それですら、2千5
百万人を数えるジャワ島総人口のどれほどと言えようか?

オランダ人の存在は三世紀に渡っているが、植民地化はおよそ60年前に始まったばかり
なのだ。オランダ人のジャワでの活動は昔からVOCの名前で呼ばれていた。公式な植民
地化は1830年以降であり、本質的なそれはファン・デン・ボシュ総督の有名なシステ
ムが危殆に瀕し、東インドに移住するオランダ人が増加するようになる1860年からで
ある。移住者は最初少なかったが年を追って増加して行き、今や6万人となってヌサンタ
ラ全域に場所を得、ジャワ島だけでも5万人を数えている。

ジャワ島の5万人の中には、植民地官僚や軍人だけでなく、商人や農園主なども含まれて
いる。1895年の統計調査によれば、行政官僚4,934人、公証人・医師・弁護士な
ど独立プロフェッショナル376人、商人・実業家・工業技術者3,344人、農業関係
者4,143人、その他諸職種1,349人、東インド政庁元高官や元役人の年金生活者
3,101人。軍人は1万8千人が全国に散らばっている。

フランスの植民地であるコーチシナと比較すると、あちらはヨーロッパ人が2,400人
いて、1,100人が行政官僚だ。しかもサイゴンというひとつの町に1,700人が住
んでいる。それは何を意味しているのか?フランス人は植民地で新たな人生を始めようと
していない。かれらは商業や役人といったそれまでと同じような仕事をし、植民地に土着
してその豊かな自然を踏まえた暮らしをしようとしていないのである。[ 続く ]