「フェーオーセーVOC(1)」(2020年09月17日)

オランダ東インド会社VOCのVはVerenigdeもしくは旧綴りでVereenigdeの頭字であり、
連合を意味している。ネーデルラント連邦共和国Republiek der Zeven Verenigde Neder-
landenの七州のそれぞれに誕生した東インド会社が連合してひとつの東インド会社を作っ
た経緯がそこに込められている。

当事者たちにとって意味のあるその言葉が会社の公式名称に盛り込まれたというのに、世
界中の他国人はだれひとりオランダ人の心持ちを尊重せず、OCが意味しているOost-
Indische Compagnieあるいは旧綴りの Oostindische Compagnieだけを翻訳した。日本語
でも連合東インド会社と呼ばず、ただの東インド会社、あるいはイギリスや他国の東イン
ド会社と区別するためにオランダ東インド会社と呼んでいるにすぎない。


このVOCはオランダ語であるため、オランダ式アルファベット発音で読まれてもよいと
わたしは思うのだが、日本人は英語式アルファベットの読み方でそれを行っている。つま
りブイオーシーかフェーオーセーかという問題だ。フランス語のTGVテジェヴェやドイ
ツ語のBMWベームヴェーのようにしないのかということなのだ。オリジナル言語で使わ
れている発音を英語民族でない日本人が英語の発音で読んでいるこの状態は、とある地図
サイトにも出現している。

インドネシア語の地名はむしろローマ字読みで発音する方が原音により近いものになるに
もかかわらず、その綴りをアメリカ人ならそう発音するだろうというものがカタカナで書
かれているのに遭遇して、あきれ果ててしまうのである。決してローマ字読みをすればよ
いと言っているのではないが、ローマ字式発音をカタカナで書くほうが日本人にとっては
自然な在り方だと思えるのに、どうして何でもかんでも英語風にすれば良いと思うのだろ
うか?

何もそこまで英米民族の世界制覇に日本人が肩入れしなくてもよいのではあるまいか?そ
のような精神がナイーブな日本人の頭の中に「外国語とは英語なり」というドクトリンを
刷り込んでしまうのだろうという気がする。そうなると、世界にはさまざまな言語が存在
するという多様性に意識が向かわなくなり、親近感のある英語とその他の訳の分からない
言語というディコトミーに向かって突進するだけで、ニュートラルな目でこの世界を観察
しようとする心に歪みが生じるのではないかという懸念が生まれるのである。


わたしは若いころにテキサスに住んでいる純朴な中年のアメリカ人と話したことがあり、
そのアメリカ人は日本人のわたしがお粗末ながらかれが理解できる英語で話していること
に対して、自分は英語以外に何もしゃべれないのが恥ずかしい、と語るのを聞いた体験が
ある。しかしわたしの人生でそのようにフェアな精神を持つ英米人に会ったのはただの一
回限りであり、とあるイギリス人などは会話慣れしていないわたしに向かって「お前は大
学出のくせに英語もしゃべれないのか」と言って蔑んだ。

英米人のほとんどは相手が英語を話すのが当然だと考えており、それは世界制覇を果たし
たわが民族の一員である自分が手にすべき報酬なのだという意識があからさまに露出され
ているように感じられる。その姿勢からは自尊と高慢が鼻をつくため、相手と同じレベル
に立とうとするフェアの精神が欠如しているとしかわたしには思えない。

「外国語とは英語なり」が刷り込まれた日本人の多くは、非英語に対するアプローチを英
語を通して行おうとする傾向が強まるように見える。印欧語族系の英語が持っている文法
要素を非印欧語族系のインドネシア語の文法理解に当てはめようとする日本人のなんと多
いことか。かれらは日本語文法へのアプローチを英語を通して行うのだろうか?[ 続く ]