「フェーオーセーVOC(3)」(2020年09月19日)

ハウトマンの後でやってきたオランダ船隊はたいていが強力に武装した船隊だったから、
ヌサンタラの各地で友好的に交易を行い、地元の王たちに大儲けのチャンスを与えた。お
かげでかれらは豊富な積荷をオランダに持ち帰り、ポルトガルからのスパイス供給に頼ら
なくてもよい状況を国民生活の中に引き起こしたものの、反対に供給過多になって市場価
格に混乱が生じ、それが各州東インド会社の合併構想を進める結果となったのである。


1599年にハウトマンが二隻の船隊で再び東インド目指して来航してきたとき、かれは
アチェに入港した。1599年6月21日、アチェのスルタンはハウトマンの来航を歓迎
して多数の象をそろえた歓迎式典を催した。

ハウトマンはコショウの代償として、アチェと抗争中のジョホールに進攻するアチェ軍の
護送を引き受けた。しかしアチェのポルトガル人はスルタンに、海賊のポルトガル人を信
用せず、かれらを海上で抹殺するようにそそのかした。スルタンはそれに呑まれた。

1599年9月11日、アチェの水軍女性司令官マラハヤティMalahayatiの率いる完全装
備の女性戦闘部隊イノンバレInong Baleeが大勢ハウトマンの船に乗り込んで来た。船が
出帆すると、海上でアチェ軍女性兵士が船内の全オランダ人に食べ物と酒を饗応したが、
それには植物から採取された幻覚剤が混ぜられていた。

幻覚剤の効果が出てから、かの女たちはオランダ人の虐殺を遂行し、ハウトマンと27人
の乗組員は皆殺しにされた。この航海に加わらなかったオランダ人22人も陸上で殺され
たり捕えられて奴隷にされた。 

インドネシアでは、マラハヤティ別名クマラハヤティKeumalahayatiがハウトマンと一対
一の決闘をしたという話になっている。かの女は近代世界で初の女性提督であり、その時
期ヨーロッパ諸国の船隊と何度も交戦してアチェの防衛に活躍した人物として、インドネ
シア共和国の国家英雄のひとりに叙されている。

イノンバレはマラハヤティが創設した女性戦闘部隊で、最初は夫を戦争で失った未亡人を
集めて作られた。女性兵士は新たに作られた要塞に集められて戦闘訓練を行い、そこがか
の女たちの兵舎になった。最初は1千人の軍勢だったが、更に兵員の徴募が行われ、未亡
人に限定されなかったために多数のアチェ娘たちも兵士になって軍勢は2千人に倍増した。
このアマゾネスは強かったようだ。


次の世紀にVOCはアジアにおける通商交易を精力的に進め、東インドばかりかインド・
日本・中国・セイロン・フィリピン・オーストラリア沿岸まで網羅するネットワークを構
築して大商社の機能を存分に発揮した。

文明の産品である文化は物品の形を取って文明を移転させていく。たとえばオランダのデ
ルフトに陶器産業が起こったのは、中国からVOCが運んだ陶器の存在なしにはありえな
かったことだ。

ディテールの豊富な中国陶器は17世紀を通してオランダに輸入されていたが、高価であ
ったためにどこの家にもあるものにならなかった。1620年代にその輸入量が減って来
たとき、デルフツブローDelfts Blauwがオランダで作られ始めたのである。


VOC高官の中でクーンJP Coenほど著名で毀誉褒貶に富んだ人物はいないだろう。イン
ドネシアでもオランダでもそれは同じだ。バタヴィアを拠点にしてアジアに一大通商帝国
を建設しようとしたクーンの業績はかれの野望を明瞭に映し出している。[ 続く ]