「苦難のコメ生産農民」(2020年10月07日) ライター: イーストアングリア大学博士課程卒業生、ジョナタン・ラッサ ソース: 2005年11月29日付けコンパス紙 "Ketahanan Pangan Indonesia" コメ30万トン輸入方針に関してゼロサムゲーム議論が民衆に示された。食糧輸入は都市 部貧困層への廉価食糧アクセスのためだとする一方で、農民層には苦難が降りかかってく るのであり、われわれはあたかもこのシマラカマの実のジレンマに屈服を強いられている かのようだ。より高額の国産米を買い上げて農民への福祉を優先し、その代わりに都市部 をメインにする貧困層に負担を与えるほうが良いのか、という議論である。 もう長い間、国内米価は国際レベルより高いものにされてきた。2005年10月1日付 けのIR-I, II, IIIのMT当たり価格はそれぞれ285、270,245米ドルになっ ている。それに対応するタイの輸出価格は196,186,174米ドルであり、大幅に 廉い。政治にバックアップされた経済インセンティブのおかげでコメ輸入は頻繁に行われ ており、インドネシア農民に負担を与えるものになっている。農民を窮迫させず、同時に 都市部・村落部の貧困層や貧困小作農民にも廉価な食糧へのアクセスを可能にさせるウイ ンウインソルーションが求められている。 その目的のためにSBY大統領は、それを支えるための三つのコンセプトを打ち出した。 =コメ輸入が国内農民を損なうものであってはならない。 =消費者の手の届く価格を実現させるのが目的である。 =食糧の国内総ストック量を確保すること。 < 米価政策 > 3百年前のオランダ時代から米価政策は食糧政策の基本に置かれて来た。ところが残念な ことに、今日の食糧政策のあり方は昔の原理と違う道を歩んでいる。 植民地政庁は常に、ヌサンタラでの農業投資のために廉価な労働力を望んだ。そのために コメや他の食糧価格は必ず可能な限りの低価格に抑えられた。そうすることで低賃金への 便宜をはかったのである。 インドネシアの国内米価は、特にオルバ期以降、国際相場よりも高いものにされた。クラ シックな、しかし現実的なふたつの理由、経済インセンティブと政治インセンティブのた めだ。政治インセンティブとは、それによって利益を得る階層、つまり農民階層が選挙投 票権者のマジョリティを占めていたということだ。かれらに向けられたレジーム支配者の 公約は十分な効果をあげた。 一方の経済インセンティブとは、1960年代にあったような国内のコメ生産に凶作が起 こったとき、国家予算に大きな負担をかけないで廉価な海外米が輸入できるようにするた めの環境作りである。1960〜65年の国内コメ生産の大失敗と輸入資金の欠乏という 踏んだり蹴ったりの状況は、いまだに行政面にトラウマを残している。 460万の文民公務員と50万の軍人公務員に食を与える政府の負担は配給事業庁Bulog の倉庫を常に食糧で満たす必然性をもたらすものだった。オルバ期にこの非経済的ではあ るがたいへん政治的な政策は、総選挙における投票と密接につながっていた。そして国家 公務員の需要を満たすための方策として、コメ輸入はきわめて経済的なオプションになっ ていたのである。 配給事業庁の民営化と民間のコメ輸入解禁は食糧輸入の扉を大きく開いた。論争が始まっ たのはそのときだ。政府は食糧確保に際して、明らかに経済的だが農民に打撃を与える輸 入に常に傾いた。その方が支出予算が楽になるのだから。結局、農民を保護するという政 府のコミットメントは、都市貧困層への廉価食糧という旗印を伴ってアップダウンをリズ ミカルに繰り返すことになった。 < 政府はリスク負担者 > 食糧輸入と食糧国際援助の議論は1999年に起こった。国民一人当たり年間消費量を6. 5キロ補填する国際援助を隠れ蓑にして3百万トンを超える食糧輸入を行うために工業ク ライシスを企てたと国内のシビルソサエティが非難したのだ。データは食糧輸入の合理性 を十分支えるものになっていない。1996年から2003年までのコメデータは常に一 人当たり年間200〜216キロのレンジにあったからだ。 インドネシアの農民のほとんどはイギリスのCAPや米国のファームビルによる農民保護 がもたらしているようなフェアな食糧価格を享受していない。コメ生産農民の生活維持は コメ価格が頼みの綱になっている。残念なことに、農民にとってのフェアプライスは食糧 価格上昇と同義語になっている。一方、年々増加の一途をたどっている都市部貧困層は食 糧アクセスをより大きなものにするために食糧価格値下がりを求めている。 たとえ高いコメを購入するリスクを抱えても、農民保護を目的にして政府は国内産コメの 購入により強くコミットするべきだ。そして同時に、市場でのコメ価格はより廉価な基準 価格にしなければならない。 その政策はアンチプロテクショニズム経済学者たちから不人気の洗礼を浴びるだろう。し かし政府が負担する国際価格と国内価格の差は石油燃料の補助金の一部なのだというスマ ートなロジックがあるではないか。政府は常にリスク負担者にならなければならないので ある。農民や都市部村落部の貧困層にその負担をさせてはならない。