「ジャワビール(前)」(2020年10月11日)

ジャワの庶民層はたいていがムスリムだ。ヨグヤカルタやジャカルタとて違いはない。ジ
ャカルタ郷土人を名乗るブタウィ種族はジャワ人に輪をかけたファナティックムスリムだ。
そんなヨグヤにビールジャワbir Jawaがあり、ブタウィにはビールプレトッbir pletokが
ある。庶民たちはそれを好んで飲む。

もっと驚天動地なのはボゴールのビールコチョッbir kocokだろう。1965年以来ボゴ
ールのあちこちでビールコチョッが作られ、行商やワルンで販売されていたが、今では希
少価値を持つものになってしまった。

kocokとはゆする・かき混ぜる・撹拌する・シャッフルするなどを意味する言葉で、卵を
kocokするならまだしも、男性自身をしごく動作すらkocokが用いられることがある。ビー
ルを揺すったら中身が噴出してたいへんなことになるが、ビールコチョッはわざと泡立て
るために揺するのである。

素材はいたってシンプルなショウガ・シナモン・砂糖だけ。それの煮汁を作り、氷と一緒
にタンブラー状の容器に入れてバーテンダーよろしくシャッフルするのである。シャッフ
ルすることで中身が泡立ち、グラスに注げば水面に泡の層が浮かぶ。ボゴールだけでなく
ジャカルタにもこのビール愛好者がいて、わざわざボゴールまで買い出しに出かけるそう
だ。

ビールと名付けられているそれらの飲み物はアルコールを含んでいないから、名前だけの
ビール、すなわちノンアルコールビールである。いったい何のためにわざわざビールなど
というハラムな名前を付けたのか?


だって、かっこいいじゃないか。あの強いブレbuleたちが飲んでいるものだぜ。名前から
してminuman kerasだ。ハードな男が飲むのにふさわしいだろうが。ただまあ、オレたち
ゃアルコールなしで我慢するんだ。酔っちゃだめだからな。

あのブレたちゃ酔っぱらってるくせに、なんであんなに強いんだ?オレたちゃ酔うと大地
がひっくり返って何が何だかわからなくなり、バタンキューだよ。ブレはここまで来るの
に昔は長い船旅をしてきたんだ。船でも酔い、酒でも酔う。酔って生きてりゃ強くなれる
のかい?

するとひとりのスフsuhuが質問者の前に立った。スフとは師父の福建読みだ。スフは諭し
た。

人間、酔えば大地が揺らぐ。足を踏ん張って立つための確固とした場が失われるのだ。自
ら揺れながら世界を見るなら、この世に確固たるものは無くなる。何を信じていたって、
信じるものもすべて揺らぐ。だが、ひとつだけ確固たるものが残されている。それは揺れ
ながら世界を見ている自己の眼だ。ただ自己の眼だけを信じ、揺れている世界は揺れてい
るまま見るがよい。そうすれば、この世に確固たるものなど存在しないことが解るだろう。

揺らぎながら生きている人間の強さはそこから出て来る。それが色即是空、空即是色の真
理を体得した者の強さなのじゃ。


ジョグジャのレストランでピールジャワを注文してみるがいい。ビールそっくりの黄金色
がかった透明の液体は水面が泡でふさがれていて、ビールだと言われたらつい信じてしま
うだろう。

ヨグヤカルタの名産品ウェダンwedangはだいぶ知名度が上がってきているようだが、ウェ
ダンの定番素材であるスオウの樹kayu secang、クローブcengkeh、シナモンkayu manis、
ショウガjahe、そしてメソイmesoyeもしくはmesoyiで作ったウェダンをまず用意する。こ
のウェダンは赤色をしている。そこにライムの搾り汁をたらすと、あら不思議、ビールそ
っくりの液体に変身するのである。それを泡立たせてやれば、ビールジャワの出来上がり。
ビールジャワはヨグヤカルタ王宮関連の場所で扱われている。

普通のウェダンがたいていそうであるように、ビールジャワも温かいまま飲んでよし、冷
たくして飲んでもよし。ビールのイメージを求めるひとはきっと冷たいのがお好きだろう。
[ 続く ]