「農業女性化の矛盾(前)」(2020年10月14日)

農民と言うと、鍬や水牛に引かせた鋤で田を耕している農夫の姿が想像されるのが普通だ
ろう。小学校の教科書に描かれているのはそのロマンチシズムあふれた絵なのだから。に
もかかわらず、農婦を想像するジェンダー意識の勝ったひとはどのくらいいるだろうか。
だが今や、水田で農作業を担う主役は農婦に変わってきているのだ。

中央統計庁1999〜2001年データによれば、農業セクター就労者の男女比は次のよ
うになっている。
男性:45.1−44.1−46.5(%)
女性:44.7−43.9−47.6(%)

現場で目にする状況や国連FAOの報告も、農業の女性化をわれわれに確信させるものに
なっている。コメを主食にしている東南アジアで、稲作の作業を行うための労働力は女性
が90%を占めている。タイでは、女性がハンドトラクターで田を耕す姿は当たり前のも
のだ。タイの農村へ行くと、広い水田で働いているのは女性ばかりであり、かの女たちは
オートバイで移動するから道路上でも女性ばかりが目に付く。

伝統的に女性に割り当てられていた作業は種まき、苗植え、施肥、除草、採り入れだった
が、今や脱穀からトラクターを使って土地を耕す仕事までをも女性はこなしている。

女性の農業への関与は国の農業生産の観点からばかりか、農家の福祉という観点からも見
なければならない。農産物の収支比率は工業産品にくらべてたいへん低いという事実に農
家は直面しているのである。乾燥脱穀もみがキロ当たり1,500ルピア程度であるなら、
子供の教育費や家族の保健費には及びもつかない。食糧産品の生産が家族の生計を満たせ
ないなら、男は村から町へ恒久的であれ暫定的であれ、家族を残して出て行かなければな
らなくなる。残されて家庭を守る女性は子供の世話や老齢の親の世話をしながら、食用作
物の世話をもすべてこなさなければならないのだ。


女性が戸主になる家庭の増加は戸主女性活性化プログラムを行っている民間団体のデータ
が示している。2004年で6百万家庭が父親の不在家庭になっているのだ。ただこのデ
ータは離婚や死別によって女性が戸主になっている家庭を集計したものにすぎない。現実
には、夫が都会へ出たきり音信不通になり、生活費すら送って来ないケースはざらにある。
単なる別居生活であるなら、それは公的統計に現れて来ないから、事実上の女性戸主家庭
は統計数値の外にあり、かなりの数にのぼっていることが推測されている。

東西ヌサトゥンガラや南スラウェシなどでは、事実上の女性戸主家庭は公式統計数の三分
の一に達していると言われている。女性戸主の多くは村落部に住み、小作農やインフォー
マルセクターで働き、しかも村落部での村会議などには女性であるがために招かれず、ま
た発言権も与えられないといった差別を受けているのが一般的な現象だ。政府からの援助
が与えられたときでも、援助を受けるのは男性戸主が優先され、女性戸主は相手にされな
いことすらある。戸主は男だという頑迷な考えを持っている村役は、村民の集まりに女性
が混じることを認めようとしない。

西ジャワ州インドラマユの農民グループリーダーは、農村の男たちは6〜7割が都会へ出
稼ぎに行くため、男の数が激減している、と語る。田の耕うんは昔50人の男が三日かけ
て行っていた1〜2Haを今では一日でこなせるトラクターが肩代わりしており、効率も
コストも大違いになっている。だから農業生産の主役は小作にせよ土地持ちにせよ、今や
女性が男性に成り代わっている。

農業の女性化によって、女性は国民への食糧供給のバックボーンになり、自分の家族の栄
養補給を担い、子供に高等教育を与えるための費用を生み出し、家族全員の健康維持の鍵
をも握るのである。村から都会に移った夫が村に残して行った妻たちには、農業テクノロ
ジーに関する情報とともに、農業を発展させるために必要な資金へのアクセスの道も用意
されなければならない。それは土地持ち農家だけでなく社会最貧困層である小作農家に対
してもおなじことが言える。

貧困農民は男にせよ女にせよ、市場情報、栽培技術情報、農産物加工情報、融資などとい
った資源へのアクセスがきわめて限定されている。更に加えて、社会や政策決定者の農業
は男の仕事だというジェンダー観のために、女性の立場は一層難しいものになっている。
アチェ・カリマンタン・中部ジャワ・西ジャワで戸主女性活性化プログラムに参加してい
る女性たちは、所在地で貧困撲滅プログラムが実施されていても、それに誘われたことが
ない、と語っている。[ 続く ]