「ヌサンタラの飲み物(終)」(2020年10月15日)

バニュワギのリム・ジュンケオン氏が成功したトゥムラワッのシャンペン化は、炭酸飲料
の歴史あってのものと考えてよいだろう。ヌサンタラで炭酸飲料の歴史が始まったのは、
オランダ人ヘンドリック・フレーク・ティレマンHendrik Freek Tillemanを嚆矢とするよ
うだ。オランダで薬剤師の免許を得た弱冠25歳のかれは、1896年に東インドのスマ
ランにやってきた。かれはクラーセス合資会社firma R Klaasesz en Co.の所有するスマ
ラン薬局Semarangsche-Apotheekで働くようになる。

1899年にかれはその合資会社を買い取り、単独のオーナー兼経営者になったが、社名
はそのままにした。そんなある日、かれはヨーロッパからジャワに大量の炭酸水が輸入さ
れていることを知る。そんな巨大需要があるのなら、ジャワで生産すれば飛ぶように売れ
るだろう。

1901年、かれは炭酸水製造工場を建ててヒヘヤHygeiaブランドの炭酸水を売り出した。
初年度に瓶詰炭酸水は50万本売れた。プリブミは炭酸水をオランダ水air Belandaと呼
んだ。その言葉は1960年代ごろまで使われていた。

現代インドネシアの学術界では、国産瓶詰飲料の歴史はヒヘヤが最古のものという見解が
定説になっている。それに続いて、ヨーロッパ人や華人が国内で生産する瓶詰飲料が東イ
ンド市場に登場するようになった。たいていはファミリー会社が経営する工場で生産され、
生産地は大都市から小都市まで種々雑多だった。共通していたのは、経営者の多くが薬剤
や化学技術の分野を得手にしていたことだろう。

記録がかなりはっきり残されているものとしては、北スマトラのプマタンシアンタルPema-
tangsiantarで製造されたバダッBadak印の瓶詰飲料だ。1916年創業のバダッはスイス
人ハインリッヒ・ズーベックHeinrich Surbeckが興したもので、かれ自身が化学技術学士
だった。

ヨーロッパ系の生産者が興した最初の波に続いて、華人の波が発生した。ヨーロッパ系工
場で知識と技術を得た華人が独立して類似の事業を始めるケースもあったし、自ら勉強し
て事業を興す者もあったようだ。いくつかの華人ファミリーはプカロガンPekalonganで、
スラバヤで、あるいはヨグヤカルタ、ジャカルタ、ボゴールなどで瓶詰飲料事業を開始し
た。製品レンジはミネラル水、ソーダ水、果実ジュースなどが一般的だった。


20世紀前半のその時代、瓶詰飲料が普及した裏側にふたつの原因がからんでいたと言わ
れている。品質が長持ちするために衛生的健康的であったことがひとつ。もうひとつは新
しいライフスタイルに合致したことだ。

20世紀に入ると、オランダ女性が大勢東インドにやってきて家庭を持ち、ヨーロッパ風
なライフスタイルを社会一般のものにして行った。それまでプリブミと同居している感覚
の強かった東インドの西洋人社会が、西洋社会そのものへの変質を始めたのである。

広大な西洋人居住地区が生まれ、そこに住んでいるのは西洋人ばかりで、プリブミは裏に
いて表に出て来ない召使いとしてしか存在できなかった。プリブミに対して排他的になっ
た西洋人社会で「犬とプリブミは入場禁止」というような貼り紙が当たり前のように出現
するようになる。政治支配面での抑圧は何世紀も続いてきたが、社会生活で人権の抑圧や
社会の片隅に追いやられる差別や隔離が行われるようになるのはその時代からである。


コカコーラは1930年より前に東インドでの輸入販売を開始し、1932年に工場を建
てて現地生産を開始した。インドネシア初の多国籍飲料メーカーの進出である。東インド
の巨大な消費量に誘われて、アメリカを主体に様々な国の飲料メーカーが進出してきたも
のの、今日まで生き残っているものはあまりない。

1980年代ごろまで、全国メーカーからローカルメーカーに至る多様な商品が市場を賑
わしていた。スマランではシルサッsoursop果汁の瓶詰まで買うことができた。インドネ
シアで伝説の巨人となっているウィリアム・スルヤジャヤ氏が1957年に創設したアス
トラインターナショナルは最初、瓶詰飲料の取扱いから始まった。プレムクラブPrem Club
というバニーの絵をシンボルマークにした飲料は、炭酸水・茶・レモネードを商品ライン
にして市場に進出した。外国の飲料会社と提携したこともある。

だが今どき、そんなボトルを探したところで、どこにも見つかりはしない。昔懐かしのク
ドゥンウニドロKedoengwoeni Doro、チルマイTjiremai、プロヴィタProvita、テガランTeh 
Galan、ハーベーHB、ムティアラMutiara、ウタミUtamiなどの名前の付いた空き瓶は、今
や骨とう品市場の好事家アイテムに混じっているだけかもしれない。[ 完 ]