「音の一致」(2020年10月16日) ライター: 文司、ヨス・ダニエル・パレラ ソース: 2009年3月6日付けコンパス紙 "Sini, Situ, Sana" 辞書を開いて読むのは有益なことであるから、頻繁にそうしたほうがよい。特に国語セン ター発行のインドネシア語大辞典KBBIにおいておや。わたしは、退屈しのぎによくそれを する。このフォーラムの常連投稿者たちもきっとそうだろう。 今回わたしは、日常生活における常用語であるsini, situ, sanaについて触れようと思う。 アルファベットを降順に並べるとsana, sini, situだ。KBBIにあるそれらの語の語義 についての話なのである。辞書では、それらの語義は話者からの遠近の距離で説明されて いる。遠近というのは相対的なものであるというのに。 辞書編纂者はムラユ(インドネシア)語が歴史的に持っている特徴を忘却しているように 見える。音と意味の関係について、インドネシア語使用者がしばしば分析を行っているこ とを覚えていないのだろうか。 インドネシア語の人称代名詞は次のようになっている。 一人称 saya, kami, kita 二人称 engkau, kau , kamu 三人称 dia, mereka 対象の所在位置を示す代名詞はこれだ。 近称 sini, di sini 中称 situ, di situ 遠称 sana, di sana われわれはそこに、人称と位置の相関関係を見出すことができる。 kamiのいる場所を指してsiniが使われる。di sini, di kamiである。語尾の/i/という音 が共通しているではないか。 engkau, kau, kamuのいる辺りの場所を指してsituが使われる。di situやdi kamuという 使い方だ。語尾が/u/になっている。 diaやmerekaのいる辺りの場所にはsanaが使われている。di sana, di dia, di merekaを 見るがよい。/a/を共通音にしているのだ。 KBBIのsanaの語義を見ると、 代名詞 話者から遠い(遠いと思われる)場所を指 す言葉 となっているが、今一つという印象だ。もっと正確には「第三者のいる場所、 diaやmerekaのいる場所や周辺」という語義が妥当なのではあるまいか。「遠い」だとか 「遠いと思われる」などという基準を使うのではない。 siniの語義はどうだろうか。tempat iniという語義はまだ受け入れることができるが、別 ページにあるdi siniの語義が、 代名詞 話者に近い場所を示す言葉 は直されるべき だろう。 situはどうか。KBBIでは、 代名詞 話者から遠くない場所を示す言葉 となってい る。di situにしても、 話者に近寄った場所を示す指示語 はいただけない。もっと適 切な語義が使われるべきだ。 それらの語義はインドネシア語の人称代名詞を参照して歴史的な音と語義の関連性に関係 付けられるべきものであり、辞書に用いられている「遠い・近い・比較的近い」といった 距離を基準に取って説明するべきものではない。 国語センターのKBBI編纂者たちは、この辞書を編纂して来た一部のひとたちがいなく なったあと、新版を編纂するにあたってこの主張を果たして思い出してくれるだろうか。