「コメ自給の夢(後)」(2020年10月20日)

既に歩き出した道を逆戻りするのは不可能だった。何十年も化学肥料と化学薬品漬けにさ
れた土壌は病み、マルクティを植えることもできない。かといって、将来の不安は暗さを
増すばかりだ。気候変動のために季節循環は不規則になり、エコロジー破壊が洪水を盛ん
にする。刈入れ直前のスラシの水田を洪水が襲い、稲は全滅した。8百万ルピアのコスト
を投じてあったその収穫が瞬く間に滅びたのである。8百万ルピアの大部分は借金だった。

その前の作付期には、メイガに襲われたためにスラシは収穫が得られなかった。そのとき
に借金総額は1千1百万ルピアに達していた。連続する失敗で借金は2千万を超えること
になる。かの女は途方に暮れた。


スラシは小作農ではない。3Haの土地を持っている。ジャワの土地持ち農民の所有地平
均が0.5Haであるのに比べても、スラシの一家は大型農家である。ところが単位面積
当たりのコストが上昇すれば、広い土地を持っていることが逆目に出る。コスト総額を満
たすために借金額も大きいものになっていくのだ。

作付期ごとに、スラシは平均して1千万ルピアの資金が必要になる。肥料が2トン。トン
当たり150万ルピアだ。苗は1.5クインタルで50万ルピアかかる。殺虫剤100万
ルピア、水ポンプ用軽油300万ルピア、土地の耕作・田植え・刈入れに250万ルピア。


この地方は元々灌漑施設なしに陸稲農業を行っていた土地だ。水田を作るには、自力で3
キロ離れたソロ川から水を引かなければならない。反対に雨季に水が田からあふれるよう
になると、ポンプで水を汲み出すことになる。

収穫がうまく得られたなら、スラシの収入は1千5百万ルピアに上る。ところが収穫に失
敗すると、借金は溜まる一方になる。今や、借金を知らない農民はいない。肥料・薬品・
苗・トラクター・軽油等々の費用はいやでもかかる。自費でそのすべてをまかなえる農民
はまずいないだろう。

昔、たいていのジャワ農民の日常生活は借金というものから無縁だった。スラシもそんな
ものとは関係のない暮らしを行ってきた。「昔は、必要なものは全部自分で用意できたん
です。苗は自分のものがあり、肥料は自分で飼っている家畜から得られたし、せいぜい土
地を耕すのに力仕事の手伝いが必要になったくらいです。それも普通は収穫を分配するこ
とで済んでいました。」


大型農家でさえ逼迫の度を強めているこの状況下に、弱小農民の実態はどうなっているの
だろうか?農業省の2000年データによれば、88%の農家は耕作地面積が0.5Ha
を下回っている。その面積から得られる収入は作付期当たり32.5〜54.3万ルピア
であり、月額にすると8.1〜13.5万ルピアにしかならない。一農家の構成人数が4
人だと仮定するなら、農業社会の一人当たり所得は月額3.4万ルピア、年間40万ルピ
アにしかならない。フォーマルセクターの最低賃金には到底およばないのである。

しかもその計算は収穫に成功した場合の話だ。収穫に失敗すればどうなるか?チョンプル
ン村の小作農のひとり、ダリサさんは言う。
「もう二年間も、土地に手を付けてません。費用がかかりすぎるんです。わたしらの暮ら
しはスラバヤで働いてる子供たちからの仕送りひとつに頼ってます。子供らは建設労働者
をしてますよ。」

チョンプルン村に並んでいるジョグロ型家屋はそれぞれがひっそりとしている。若者たち
はみんな村を出て都会で働いているのだから。ガラマン碑文Prasasti Garamanに記されて
いる、紀元11世紀のジュンガラJenggala王国時代のソロ川が現出させた豊穣な農耕地帯
は、今や住民の暮らしを支えることのできない姿になり果ててしまった。

緑の革命の夢は、地元エコロジーに最適な形で何百年にも渡って相伝されてきたマルクテ
ィ陸稲を消滅させた。農業実地指導員は農業強化を精力的に推進した。栽培される稲の品
種を変え、化学肥料と殺虫剤を使い、土地や農作業を可能な限り機械化させる。その目的
は生産量増大だ。1960年代以来、全国の農業セクターの上でこだました農業強化の雄
叫びは、今やこだまを残すだけになっている。しかしそのツケは今日まで代償を求め続け
ているのである。
「次の作付期にまだ稲を植えられるかどうか、わたしにはよく判らなくなってきました。」
スラシさんは最後にそうつぶやいた。[ 完 ]