「モーイェインディと水田風景(後)」(2020年10月22日)

水田をアイコンにする村落部の自然への思い出は、東インドで生まれたオランダ人にとっ
ても郷愁を掻き立てるものだった。1937年にメステルコルネリスMeester Cornelisで
生まれたグラフィックデザイナーのロヒー・ボーンRogier Boonはオランダに移住した後、
1973年にインドネシアを旅して、遠い山なみを背景に鍬をかついだひとりの農夫が水
田の間を歩いている情景を写真に撮った。

水田のパノラマへの憧れは、まだまだ続く。1980年代にわれわれは、ジャワ島で奇妙
な光景をしばしば目にした。遠い山なみと広がる水田、そこに観光バスがやってきて道端
に止まる。乗っていた西洋人観光客がぞろぞろとバスから降りて、ジャワ島のアイコンに
見惚れ、写真三昧を愉しむ。

しかし農業のインヴォルーションが、エコロジーの変化が、あちこちで水田のパノラマの
姿を変えるようになった。今や水田鑑賞プログラムはジャワ島内で大幅に減少したのであ
る。しかしバリ島でそれは依然として残っている。

バリ島内で、西洋人観光客を乗せて来た車が水田地区の道路脇に駐車し、観光客が三々五
々水田風景を愉しみ、それを写真に収めている姿を見るのは普通のことだ。バリ島が観光
産業の土地であり続けるかぎり、古来から保たれて来た水田風景は観光資源としても維持
されなければならない。そうでないなら、バリは観光以外の生きる道を選択しなければな
らなくなある。


水田を維持するためには、農民を保護しなければならない。農民の保護というのは国民の
特定階層に特別の恩典を与えるということでなく、農業従事者が国民として生きて行くた
めのバックアップをフェアな仕組みの中で構築するということなのである。農業という産
業セクターが持っているさまざまな分野への関連性は、自然保護、文化、そして観光にま
で及んでいる。農業の盛衰は国民生活に深く関わっているものであることがもっと深く理
解されなければならない。

環境が破壊されると、水田風景から美しさが失われて行く。そうなれば、水田のある風景
を眺めて愉しもうとする者はいなくなるだろう。ましてや水田が干上がって誰も耕作しな
くなるなら、観光客が近寄って来るわけがない。


昔の農家の子供は大学教育を受けるのに経済的な苦労を経験しなかった。一流大学で優秀
な成績を取っている学生の中に、農家の子弟はざらにいた。ところが昨今、子供を大学ま
で行かせられるだけの経済力を持つ農家は大きく減少してしまっている。教育費が上昇し
ているのも事実だが、農家の経済力が低下していることを無視するわけにはいかない。

ジャワの水田風景の美しさは見せかけの姿という空洞化に突き進んでいるようだ。ジャワ
の農業は社会経済生活における問題をますますたくさん抱え込んでいるのである。ヴェル
トハイムWF Wertheim教授が言うように、「ジャワの不均衡は拡大の一途であり、ふたが
破裂するのを待つばかり」であるにちがいない。

観光客が昔からジャワ島のアイコンにされてきた「かすむ山なみと黄金色の、あるいは青
々とした稲の波」を愛でて愉しむのも今のうちかもしれない。その姿の裏側で蝕まれつつ
ある空洞化がいつまでも放置されるなら、モーイェインディがインディから去って行く日
が遠からず訪れるにちがいあるまい。[ 完 ]