「クーンの野望(終)」(2020年11月13日)

長い間、オランダ王国にとってヤン・ピーテルスゾーン・クーンは国家英雄だった。いや、
過去形で語るのはふさわしくないだろう。だがオランダ国民にとっては過去形に向かって
進行中である印象が強い。クーンはオランダにとって何ほどの人物であったのだろうか?
クーンは何をなしたのか?

目に見える業績の筆頭はジャヤカルタを滅ぼしてバタヴィアを建設したことだ。それはク
ーンが組み立てたアジアの一大商業帝国構想に沿って行われたものであり、クーンがその
構想の足掛かりを築いたことによって、その後の動きが一貫してその方向性をたどること
になった。クーンが物故してもかれの構想は生き続けたのである。


Dispereert niet! バタヴィアの大地を指さして自己のモットーを唱えるクーンの銅像が
バタヴィアのヴァーテルロープレーンに1876年建立された。ジャヤカルタの滅亡から
257年後であり、クーンの没後247年のことであり、バタヴィア市政が開始されてか
ら245年、オランダ王国発足からは61年後のことだ。

アルウィ・シャハブ氏の解説では、クーン像の建立は1879年5月にバタヴィア市政2
50周年記念として行われたとなっている。1869年12月から週二回発行されたバタ
ヴィアの民間新聞ヤファボデJava-bodeは250周年記念関連記事を満載した。街中は心
弾ませる祝祭の雰囲気に彩られ、クーン像の除幕式が行われてそれを見にヴァーテルロー
広場に馬車でやってきた政庁高官夫妻やその家族ら紳士淑女の見守る中で除幕式が行われ、
堂々たる英雄クーンの姿が拍手喝采で迎えられた。記事は物語る。「この偉大なる民族の
英雄に敬意を表すべきオランダ人ばかりか、一緒に手を振る緑濃いヤシの葉の下で、不滅
なるクーンの功績は永遠に記憶の中にとどまり続けることだろう。」植民地政庁高官たち
はクーンへの敬意を表して、贅沢三昧のパーティを終日楽しんだ。


ネーデルラント連邦共和国以来の、国民からのクーンの評価がどうであったのかはよくわ
からないが、国家英雄クーンの姿はオランダ王国がプロモートした観がなきにしもあらず
だ。

ジャカルタ歴史博物館所蔵品の中に、クーンの銅像が描かれた長さ13.3センチの銀製
スプーンがある。クーンの銅像とBatavia, Weltevredenの文字が入っており、何かの記念
のためのスーベニアとしてバタヴィアで作られたものらしい。

この品物を博物館に寄贈したのはオランダ人ヤープ・デ・ヨンガ氏で、20世紀はじめご
ろバタヴィアに住んでいた両親の遺品として氏に受け継がれたものだそうだ。クーン像の
除幕式と関りのあった品物かどうかはわからないものの、クーンに関するプロモーション
は適宜行われていたに違いあるまい。

クーンの故郷であるホールンでも1893年に故郷の偉人として市庁舎前広場に銅像が建
てられている。バタヴィアのクーン像はオランダの植民地支配の終結とともに姿を消した
が、ホールンのクーンは国民の賛否両論の間でまだ生き永らえているようだ。[ 完 ]