「食の多様性の誇りと現実(3)」(2020年11月18日)

ミクロを知らない現実離れした知識が脳内に蓄えられ、それをベースにして論理思考の組
み立てが行われるようになると現実からかけ離れた観念論の塊と化してしまうから、広い
視野で世の中の現実を見る習慣を身に着けないと、いくら断片的な知識をたくさん持って
いても、あまり役に立たない知性の持ち主になってしまう。日本人はもっと知識の増やし
方のバランス感覚を涵養しなければならない。と、これは余談。


大傾向としてインドネシア東部地方は米食があまり一般的でなかったというのに、197
0年代の緑の革命によって米食習慣がパプアの内陸部にまで広がり、大傾向が変化して行
った。その結果、インドネシア国民、中でも貧困層は大量の米消費階層になり、米の輸入
が避けられなくなった。

その反省も手伝って炭水化物摂取の多様化が叫ばれたものの、インドネシアで産しない小
麦への指向が起こって麺やパンの消費が増加しただけで、芋類やトウモロコシなどの国産
アイテムはあまり関心が払われていない状況だ。唯一、芋類の中のシンコンsingkong(キ
ャッサバ)の消費が増加している。バソbaksoはタピオカと肉や魚を合わせて練って作る
食品で、これが全国的に拡大したことでシンコンの消費量が増加した。その結果、インド
ネシアはタピオカとキャッサバの有力な輸出国の座から転落している。

現在でもヌサトゥンガラ・マルク・パプア住民の多くはサゴおよびシンコンやサツマイモ
などの芋類を炭水化物摂取の重要な源泉にしている。しかし米食がライフスタイルとして
押し寄せた結果、ひとびとの間にはコメを食べなければ恥ずかしいという観念が育まれる
ようになった。コメが食糧としての意味合いと同時に社会ステータスの価値を持たされた
のである。旧来の主食を食べるのはコメを潤沢に変えない貧困層だけになり、結局住民の
貧困化を促進させることになった。

旧来の主食を市場に供給販売していた者は需要の大幅減のために販売量が大きく縮小し、
且つ価格の低下に甘んじざるを得なくなった。その一方で地元生産のほとんどないコメを
高額で買わなければ社会ステータスは維持できないのである。

日本・台湾・タイは米食文化のファナティックな諸国だが、かと言って決してコメ一辺倒
ではない。日本のコンニャクやシラタキはコンニャク芋iles-ilesを原材料にしているし、
天ぷら粉はサツマイモから作られる。台湾では高級ホテルで紫芋のメニューが人気を博し
ている。タイレストランではシンコンをパームシュガーとココナツミルクで調理したメニ
ューが高級アピタイザーになっている。インドネシアではどうか?バソとチルンブ芋ubi 
cilembuがやっと世に知られている程度だ。インドネシアの芋類は絶滅に向かって進みつ
つある。ハビタットが破壊されて行く一方で、農民は売れるものしか育てようとしないの
だから。
 

1970年代の緑の革命はインドネシアの農業セクターを痛めつけ、大損害を与えたので
ある。それで得をしたのはグローバルキャピタリズムだけだった。苗・肥料・殺虫剤産業
は国際資本主義ネットワークの中にあったのだ。農民はそれらを高い価格で買わされ、一
方農民の生産品は仲買人に買いたたかれた。消費者は高いコメを買わされたが、その金は
農民のところまで流れて行かなかった。非効率な流通システムがその金を吸い取って行っ
たのである。

コメ生産に追いまくられることによって、農民はコメ以外の食糧生産の機会を奪われてし
まった。それは農民ばかりか、国民のすべてにとっても大きな、そして二重の損失であっ
たと言えるだろう。

ヨーロッパ人も最初から小麦を食べていたわけではない。小麦食はアジア大陸で始まり、
紀元前8千年ごろに発展を示した。アメリカインディアンはトウモロコシやジャガイモを
食べていた。[ 続く ]