「装いのアイデンティティ(2)」(2020年11月26日)

VOC高官の令嬢ではあっても、母のいないアジア混血娘がアジア人を蔑視する総督に預
けられ、サラはカスティル内の総督館の一室で安らぎの滅多に得られない日々を送りなが
ら、父の帰りをひたすら待ち続けていたのだ。カスティル内兵舎に終日起居している兵士
の一人がサラに目を付け、優しい態度と言葉でモーションをかけてきたなら、年端のいか
ぬ少女が陥ってもしかたない甘い罠だったように見える。

ジャックの人生にとっての華々しい一時代を画した日本との関わりを折に触れて父親に思
い出させる触媒の役割を日本人の血を引くサラが務めていただろうことは疑う余地がある
まい。バタヴィア生活の中で、この父と娘は日本語で会話することがあったかもしれない。
自分の中の一部と化した日本文化への感傷をそんな形で実現させることで、父親の心が癒
され慰められていただろうことは想像に余りある。

ところが、乱れた性風俗を蛇蝎のごとく嫌って自分の治める領地からその時代のキリスト
教倫理に背く行為を一掃し、領内に清教徒的な男女関係を確立させようとして鉄腕を振る
っていたクーン総督にとって、それは許すべからざる穢れた事件になった。クーンがこの
事件を不倫行為一掃の見せしめに使おうとしたのも当然の成り行きだっただろう。

こうしてサラはバタヴィア城市のすみずみまでをも賑わす一大スキャンダルの中心人物に
され、結果的にサラの存在は栄光と苦渋のふたつの記憶を父親にもたらすものになってし
まう。父親は1932年5月20日に愛する娘をバタヴィア駐在の35歳のドイツ人牧師
に嫁がせて台湾のVOC商館に送り出した。サラは二度とバタヴィアに戻らず、1636
年に19歳の若さで台湾の土となった。

自分の外部にあって、日本時代の栄光をいつでも思い出させてくれる唯一の触媒は失われ
てしまったのである。ジャックが第7代総督に就任する前にVOC本社に召喚されていた
のだから、上で紹介した画像に描かれているかれの丁髷頭が本当に総督姿を描いたもので
あるなら、かれは丁髷頭でヨーロッパを出入りしていたと考えることができよう。

もしそうなら、かれは自分の丁髷頭に誇りを抱いていたに違いあるまい。ジャックがいつ
まで丁髷頭を続けていたのかはまったくわからない。かれが丁髷頭を普通のヨーロッパ式
ヘアスタイルに変えたとき、かれの内面に日本との決別が起こったのではないだろうか。
いや、日本時代の栄光に傾倒しようとする精神が削げ落ちたからこそ、かれは丁髷頭を捨
てたにちがいないとわたしは思う。


ところで日本ではJacques Specxの綴りをオランダ式に読んだヤックス・スペックスとい
う表記が一般に行われている。わたしがジャックと書いているのは英語マニアだからでな
くて、それがフランス語綴りだからだ。

オランダ人名の場合はヤコブJacobやヤコブスJacobusのニックネームとしてのヤックJack
が使われており、一般のオランダ人にとってJacquesという綴りは普通に使われるもので
なかったようだ。しかしJacquesという名のオランダ人がいた場合、オランダ人自身がフ
ランス式の読み方をするのが現実の姿であるらしく、インターネットの発音サイトを調べ
ても、オランダ語発音でのJacquesはヤでなくジャの音が聞こえて来る。

いったいどうして、JackとJacquesを日本人先覚者が混同してしまったのかよく分からな
いが、ここにもまた、日本人のはてな常識がひとつ出現しているように思われる。


ヌサンタラ原住民の頭髪は昔から男女の別なく、長く伸びたままにされていたようだ。中
国の歴史書に描かれているヌサンタラ諸国の原住民も往々にしてそう記されているし、ラ
フルズのHistory of Javaにも、ジャワ人はたいてい長髪で、髪をあまり切らず、その長
い髪には白檀やガンダプラgandapuraの油が塗られていたと記されている。別のイギリス
人の書き残したものには、ジャワ人の長髪は首に巻き付けるのが普通で、身体には伝統的
な粉末が振られていたと記されている。 長髪というのはヌサンタラだけでなく、東南ア
ジア全般で一般的に用いられている風俗だったらしい。それが変化したのは西洋人の渡来
による。[ 続く ]