「食の多様性の誇りと現実(12)」(2020年12月01日)

[ガドゥン]
ジャカルタ特別州にとっての最初で最後の工業団地となったプロガドン工業団地Kawasan 
Industri Pulogadungの地名はこのガドゥンgadungというダイジョ類uwi-uwianの一種がた
くさん生えていたことに由来しているという説が一般的だ。学名をDioscorea hispidaと
言い、中国では白薯?という名称で、インドからマレーシアにかけて、またチベット・雲
南や中国南部に分布していると説明されている。

ガドゥンはインドネシアの各地に自生しており、ひとつの群株に20から50個の大きな
芋が重なり合って付く。肉の色は種によって異なり、白・黄・赤などさまざま。肉には有
毒のシアン化水素が含まれており、毒性を除去するために各地方で独自の処理法が行われ
てきた。
>バリ人は芋を細かく切って灰をまぶし、一昼夜置く。灰を洗い流してから海水に数晩漬
ける。それから水で洗浄し、天日干しすることを二三回繰り返す。
>アンボン人は芋を細かく切ってから海水の中で踏む。そのあと数日間真水に漬け、天日
干しする。
>ジャワ人は薄切りにして布にくるみ、24時間以上流水に晒す。
また伝統医療では、リューマチや梅毒の治療、あるいは家畜の怪我などに使われてきた。


昔から、洪水などの災害や日照りでコメの不作が起こったとき、住民は食うに困ってガド
ゥンを食べているというニュースがよく流された。そのせいか、ガドゥンは困窮時の非常
食のイメージが国民の脳裏に染みついていて、まともな時期の食べ物ではないという印象
が一般的になっているが、決してそんなことはない。コメ依存を断ち切って食の多様性を
実現させるために、バラエティのひとつに加えられておかしくないものがこのガドゥンな
のだ、と専門家は述べている。

乾季末の8〜10月ごろにガドゥンの葉は枯れ落ちる。それが芋を掘り出す合図だ。雨季
になるとまた葉が付き、芋は繊維質ばかりになるため食用に適さない。

芋は組織が壊れるとシアン化水素とグルコースを作り出す。シアン化水素は水に溶けやす
く、熱に弱いため、毒素を除去するのは難しくない。皮をむいてからすぐに流水で洗い、
三日三晩水に漬け、よく洗って十分に乾燥させる方法と、皮をむいてから灰をまぶして日
干しし、乾いたら一昼夜水に漬け、再度乾燥させる方法、もうひとつは皮をむいてから熱
湯で30分間茹で、薄切りにして洗い、十分に乾燥させる方法などが勧められている。

それらの方法で残留シアン化水素は1〜10mg/Kgまで低下し、最後に調理することで加
熱されてまったく安全な食品になる。炭水化物摂取源としてガドゥンはコメ・トウモロコ
シ・シンコンに劣るので、コメよりも三分の一ほど多量に摂取する必要がある。

[サツマイモ]
インドネシア語はウビジャラルubi jalarと言う。パプア高地人が常食にしているところ
から、一般にアメリカ大陸熱帯地方原産という説とは別にパプア原産という説もある。あ
るいはまた、アメリカ大陸とポリネシア間の人的接触によってポリネシアに広がり、パプ
アまで到達したという説も有力だ。しかしこの説が発展して台湾から日本の琉球に達した
というのはちょっと勇み足かもしれない。台湾では、オランダ時代にオランダ人が持ち込
んだという話が一般的だし、日本では唐芋karaimo〜琉球芋ryukyuimo〜薩摩芋satsumaimo
とだんだん内地に近寄ってきている様子から、そのルートが推測されるのである。

アメリカ大陸からアジアへの伝来は、11〜12世紀ごろのポリネシア人の波のあと、今
度は16世紀後半にスペイン人がメキシコからフィリピンに占領と植民を開始したことで
第二の波が起こり、どうやらその波がフィリピン→中国→台湾→琉球→日本という流れを
起こしたように思われる。[ 続く ]