「食の多様性の誇りと現実(15)」(2020年12月04日) [ジャガイモ] インドネシアの2019年州別ジャガイモ生産を見ると、トップは東ジャワの32.0、 続いて中部ジャワ29.4、西ジャワ24.5、北スマトラ11.9、ジャンビ11.2、 北スラウェシ8.8、西スマトラ5.08、南スラウェシ5.06(単位は万トン)と続 いていて、それら各地の主食の状況を思い浮かべるなら、ジャガイモはインドネシア国民 にとってまったく副次的な炭水化物摂取源でしかないように見える。 南米のペルーからスペイン人がヨーロッパに持ち込んだと言われているジャガイモは最初 スペイン人がカナリー諸島で栽培したようだ。その事始めは1535年、1562年、1 565年、1570年とバラエティに富み、文献学というものの本質をわれわれに見せて くれる。更に1565年にテネリフェからアントワープに送られた記録があることから、 ベルギー〜オランダと続くヨーロッパ北部低地帯に初登場したのがそのころのように思わ れる。 その一方で、イギリス人がイギリス諸島に1551年または1588年に持ち込んだとい う別の流れもあったそうだから、イギリス経由でヨーロッパ大陸北部に伝わったジャガイ モもあっただろう。それらの多岐にわたる年号と複雑な経緯に関連して、真実なものはそ れらのどれかひとつであって他はすべて誤りであり、その真実の年にだれかある特定の人 物がある国や地方に赴き、そこの住民に芋を紹介して地元民がそれを栽培するようになり、 それが地元民の食糧になった、という単純な世界観で歴史を見ていては、この世の実相は 見えて来ないにちがいあるまい。 人間というアリに近い生き物がてんでんばらばらに動き回るこの世の実相がそんな単純な ものであるはずがない。だが、秩序というものに特殊な心的固着を抱いているひとびとは 往々にして人の世のありさまを観念的に単純化したがるようだから、わたしが実相と呼ん でいる姿は受け入れることの困難なものであるかもしれないし、また別に、現代教育によ って正解はただひとつという先入観を脳の中に埋め込まれたひとたちも、ひとつの命題に 対する複数の真実という状態に耐えられないかもしれない。文献学にとって解き明かすこ との不可能な「ものごとの起源」なるものを証拠(文献)によって証明しようとすること ほど人間というものへの無知を示す行為はないだろうという気がわたしにはする。いや、 そう言うと文献学に失礼なのであって、文献というものを起源と同一視しているひとびと の無知と言うべきなのかもしれない。 ジャガイモに毒性があることを当初からヨーロッパ人は知っていたらしく、そのために最 初から人間の食糧として扱われたのでなく、観賞用植物や病人食あるいはせいぜい家畜の 餌という用途が先行したそうだ。だがもちろん、貧困のひもじさのゆえに食べた人間も少 なからずいたことだろう。 オランダ語でジャガイモの名称をaardappel、フランス語 はpomme de terre、ドイツ語で はErdapfelなどと呼んだのは、天上の楽園の果実であるアップルに反して地上の土中に生 えるこの芋は悪魔のものだという説を流して、毒性のあるジャガイモを食べないよう庶民 に教えたことから定着したという説すらある。 その傍証として、ヨーロッパでジャガイモを使うレシピ―が一般化したのは18世紀にな ってからだという解説もあるのだが、その一方で1581年にドイツで出版された料理メ ニュー集にはじめてジャガイモを使うレシピ―が掲載されたと述べられていて、ここにも 一筋縄ではいかない人間の姿を見出すことができるだろう。[ 続く ]