「続・ヌサンタラの酒(3)」(2021年01月08日)

[チウ]
ヌサンタラの伝統アルコール飲料の中にチウciuというものがある。アルコール飲料でチ
ウと言えば日本人なら焼酎を思い出すに違いあるまい。その日本語の焼酎は中国語で焼酒
と書くそうで、福建語ではそれをsiociuと発音する。ヌサンタラのチウはもろに中国語の
酒だ。

チウはヌサンタラにやってきた華人が与えた名称だと思われるが、その史的経緯がよく分
からない。バタヴィア初期にその周辺に作られた砂糖工場が由来をなしているという可能
性がまず推測される。サトウキビ畑が作られ、畑のそばの川沿いに水車を使うサトウキビ
搾り作業場が設けられて砂糖の生産が行われた歴史があり、その作業に華人が使われるこ
とが多かった。華人たちが砂糖の副産物として酒を造ったのが事始めであるなら、かれら
がそれを酒チウと呼び、プリブミがそれをciuという名前の物品と認識した経緯が想像さ
れるのである。

だが、華人のヌサンタラ定住はもっと古くからあったわけで、プリブミに入り混じって暮
らしていた華人の誰かが芋類やサトウキビから酒を造り、チウなるものを教えた可能性を
否定するのも難しいだろう。オランダ人が来るはるか前からヌサンタラはアルコール飲料
に満ちていた土地であり、華人がそこに一ページを加えたという推測も十分に妥当性があ
るように思われる。

ともあれ、プリブミが認識したチウなるものは、サトウキビの搾りかすやシンコンを発酵
させてできたタぺシンコンの液体を利用して作られた蒸留酒に限定されていたのではない
かと思われる。なぜなら、現在のインドネシアでチウと呼ばれているアルコール飲料の素
材はそのふたつがメインを占めているからだ。


現代インドネシアでサトウキビを素材にしたチウの特産地として名前が知られているのは
中部ジャワ州のブコナンBekonangとトゥガルTegalだろう。トゥガル県には蒸留産業地区
として有名なグマユンGumayunやトゥンパTempaがあり、トゥガル県グマユンのひとびとは
19世紀にサトウキビの搾り汁から高アルコール度の白アラッarak putihを産して名を上
げた。トゥガル市トゥンパは白アラッを素材にした加工製品を作る面で名を高めた。タン
クルブアヤtangkur buayaなどは人気のある製品だ。チウ産業は通常の生計に不利な土地
で発展した印象があることを指摘するひともある。

最古のチウ産地と言われているブコナンはカランアニャルKaranganyarにあるタシッマド
ゥTasikmadu製糖工場に近く、またグマユンもジャティバランJatibarang製糖工場の陰に
控えているといった位置関係にあり、チウ地場産業の発展をオランダ人が作った砂糖工場
が後押しした可能性は高い。

もちろんブコナンのチウ産業はタシッマドゥ製糖工場が生み出したものでなく、もっと古
い昔からあったものが、製糖工場が作られたおかげで便宜を享受できたために生き残って
いると考えられる。また最古というのは、もっと古い産地が滅びたあとも現在生き残って
いるという意味であり、そこが発祥の地ということではない。

トゥガル県の他にも、バニュマスBanyumas県一帯にチウ産業が散在している。プルバリン
ガPurbalingga、スンピウSumpiuh、バンジャルヌガラBanjarnegara、クロヤKroya、チラ
チャップCilacapなどがそれで、こちらの方はシンコンが素材に使われている。

素材が何であれ、それらのチウ特産地では住民が何世代にもわたって伝えて来た家業とし
てのアルコール飲料生産を、相変わらずの小規模家内工業で続けているのが実態だ。たい
ていは村のたくさんの家庭が同じようなことをしていて、ブコナンの村に入れば風の中に
アルコールの香りが漂っているという現象になって現れる。

闇酒取締りで押収されたさまざまな瓶詰アルコール飲料の廃棄処分を官憲はショー仕立て
で演じるのが昨今の慣わしになっていて、広場に中身入りの酒瓶が敷き詰められ、その上
をロードローラーが走ってつぶして回る。アルコール飲料がこぼれ出て、広場を満たし、
側溝にあふれながら流れ去って行くのだが、周辺一帯は酒の匂いに満ち溢れる。見物人の
間から、「こりゃ、ブコナンの匂いだ。」というつぶやきが漏れるのも、ブコナンという
存在を象徴しているかのようだ。[ 続く ]