「真のニャイ(後)」(2021年01月12日) アルダンはニャイ・ダシマを、白人トアンによって与えられたニャイの生き方に反抗し、 自己の本源に立ち戻って自分自身に回帰し、自己としての存在とその意味を維持しようと 望んだ、植民地社会構造の犠牲になったひとりの女性として理想化した。 1964年アルダンはドラマ「ニャイ・ダシマ」の脚本を書き、巡回公演を行った。19 65年には脚本が出版され、1971年に再版された。 もっとすさまじいシステマチックな努力を秘めたプラムディアの歴史小説「人間の大地」 はその10年後に生まれた。19世紀末の時代を背景にしたこの物語で、ニャイはもっと も重要な役割と性格を持たされている。それどころか、アプサンティ・ジョコスヤッノの 言葉を借りるなら、プラムディアはニャイ・オントソロを、母なる女神であるとともに現 代人のプロトタイプという姿にして描き出した。 その女性が尊称として自分を呼ばせたニャイという呼称は、情愛溢れ啓蒙的で保護と解放 をもたらす気丈で偉大な母の意味を持ったのである。ニャイは奴隷の境遇から起ち上がり、 大きなビジネスをプロフェッショナルに動かす力を持った女主人となった。ニャイは資本 主義時代の優秀な子供たち、リベラル人のひとりだったのである。このニャイは、植民地 封建制度から自らを解放に導く能力を持った女神のオーラを持つ、新しい時代の人間だっ た。 < 新しいイメージ > その卓絶したニャイのイメージでプラムディアは、種々の物語が作り出していたニャイの 評価とイメージの通説をドラスチックに打ち破り、(真のと言わないまでも)従来とは異 なる視点を提示したのだった。たとえニャイ・オントソロがプラムディアの創造人物であ ったとしても、かれが女性の典型として描き出した啓蒙者解放者として立つニャイの強さ と気丈さを備えた長所とイメージはインドネシアの歴史の中に実際に存在したものだった のである。 国民教育史に不滅の名を残すスワルディ・スルヤニンラとその妻スタルティナ・サストロ ニンラは1928年5月2日、貴族の称号を捨てて新しい名前で生まれかわった。キ・ハ ジャル・デワントロとニャイ・ハジャル・デワントロがかれらだったのだ。 キ・ハジャル自身が語っている。ジャワでキとニャイ/ニは年長者への尊称なのだと。そ して人間と宗教の本質を見出して村落で住民への教育者になった尊敬されるべき者に与え られる敬称でもあったのだ。 ニャイは歴史の中に実在した。その中に「劣って、非文化的で、セックスに関することだ けが関心事。」という者がいたことは否定できないものの、強さと気丈さをたずさえ、社 会の啓蒙者解放者として立った者もあったのである。不公正のはびこる世の中で、権力者 を見下し、弱者を引き上げることに努めたニャイもいたのである。 ニャイの評価とイメージがいつまでもネガティブなものであり続けてはならない。汚辱の 泥の中から高貴にして強さと気丈さと知恵を備えた女王の着くべき玉座にニャイのイメー ジを回復させる道程の先鞭をつけたキ・ハジャルと二・ハジャル、アルダン、プラムディ アたちが歩んだ道を、後続のわれわれも覚醒と意志を持って継続して行かなければならな いのである。[ 完 ]