「続・ヌサンタラの酒(6)」(2021年01月13日)

ニラが住民の日常生活に密着したものであったがゆえに、蒸留酒がかれらの日常生活の中
で文化の一部を担うものに発展して行った。慣習や宗教儀式で飲まれ、親睦のために社交
の小道具として飲まれ、もめごとが起こった後の和解を象徴するものとして飲まれる。日
常的に飲まれるものだから、食事ワルンや食堂、コーヒーワルンなどにも常備されるよう
になる。需要が作られれば、自家用に生産しているものの一部がワルンに売られ、家庭に
臨時収入の道が開かれる。酒が地元民の文化を彩るものになるのは、古今東西似通った現
象のように見える。
コンパス紙記者が取材でフローレス島を周遊した時、かれらは食事のためにあちこちのワ
ルンに立ち寄った。料理はそれぞれ異なっていたが、どこのワルンもソピやモケを記者一
行に勧めた。
東ジャワ北岸地方では、今やソピもモケもアレンヤシから作る伝説の飲み物になっている
が、フローレス島ではロンタルヤシのニラで作られる。記者はモケについて、ソピがアル
コール度30度の蒸留酒であるのに対し、モケは蒸留酒でなくアルコール度は低いもので、
酸味が強い、と書いている。ガダ県バジャワBajawaでは、ワルンで食事をし終えると、ど
こでもモケを振舞ってくれたそうだ。ここで述べられているモケはどうもトゥアッのこと
を言っているように思われる。

[チャップティクス]
このチャップティクスcap tikusとはネズミ印を意味しており、その語感から製品名ある
いは商品名を思わせてくれるのだが、実態は物品名称としてこの言葉が使われている。つ
まり北スラウェシ州ミナハサMinahasaで産する蒸留酒であり、元々それはソピsopiと呼ば
れていたものだ。
昨今のミナハサで流通しているものは320ccの片手におさまるユニークな形の小瓶入
りで、ラベルにネズミの絵が描かれており、チャップティクスそのものになっているのだ
が、これもそのラベルによって名称が定まったのでなく、名称が先行しそのラベルが後追
いで作られている。ラベルにはアルコール度45%と書かれていて、ビールのつもりでこ
れを飲むとたいへんなことになる。

ミナハサのソピは元々、住民が各自でアレンヤシの花穂から採取したニラを蒸留し、自家
消費と他人への販売を兼ねて作っていた。だから生産者は何千人もいる。つまりは家庭常
備品を各家で作っていたということなのである。ソピがいつからどんな事情でチャップテ
ィクスという物品名称に変わったのかについては定説がない。いや、誰に聞いてもよく分
からない、と言うほうが正確だ。
一説では、アレンヤシの林がある原野でニラを採取し、原野のど真ん中の家でソピを作っ
ている自分の姿を振り返り、野ネズミがうろちょろしている環境の中で作られるこのソピ
はどうもネズミ印ものだなという感想を抱いた者がいて、その韜晦じみた呼称がそのうち
ミナハサ全土に広まり、他の土地ではソピと呼ばれているのにミナハサだけは別名称にな
ってしまった、というものがあるが、誰もがそれを肯定しているわけでもないようだ。
名称がソピからチャップティクスに変わったのは1829年ごろのジャワのディポヌゴロ
戦争の時期だという話もある。オランダ植民地政庁はディポヌゴロの反乱に手を焼き、北
スラウェシでも兵員大募集を行った。募集に応じた北スラウェシの民衆は軍事訓練を受け
る。その訓練センターになったのがマナドのアムステルダム要塞Benteng Amsterdamであ
り、要塞周辺にたくさんの華人がソピを売りに来た。
起き抜けの一杯の習慣が抜けないミナハサ人が華人の売るソピ目指して毎朝殺到したにち
がいあるまい。要塞内の兵舎に持ち込んだ者もいたのではないだろうか。ひょっとしたら、
オランダ人やプリブミ指導官の耳に入るのを怖れて、ソピという言葉を別の符牒で呼んだ
かもしれない。[ 続く ]