「バタヴィアの売春婦(2)」(2021年01月15日)

かなり昔にアラブ人のインドネシア観光が盛り上がった。最近でこそアラブ人カップルの
旅行客が増加したが、昔は男ばかりがやってきた。かれらはジャカルタ郊外の涼しいプン
チャッ高原でヴィラを借りて長期滞在した。一時はアラブ人滞在者が増加し、かれらを対
象にする商店がアラブ語の看板を出したために、嫌が上にもカンプンアラブの雰囲気が盛
り上がり、それがプンチャッリゾートの異名になっていた。

かれらは当然、長期滞在のために女を調達するのだが、そのためにわざわざ結婚式を行う
のである。滞在資格を手に入れるのがその目的ではなく、あくまで女を手に入れるための
ものであり、花嫁になったのは言うまでもなくプリブミのムスリマだ。そして長期滞在を
終えてインドネシアを出て行く時につかの間の妻と離婚する。婚外セックスが禁忌にされ
ているムスリムは、そのようなシステムを用いることで良心の呵責から無縁でいられたの
ではあるまいか。

それを売春と呼ぼうが、売春でないと否定しようが、本質は変わらない。西洋人がヌサン
タラにやって来るはるか以前からインド洋を渡って来たアラブ人ペルシャ人インド人たち
がしていたこととそのスタイルはたいした違いがない。

やってきた男たちは停泊した港で季節風が東風に変わるまでの半年ほどの間、プリブミ女
性を妻にして暮らし、帰国する時が離婚の時になった。中には子供を作り、再訪した時に
同じ家庭の主人の座に着く者もあったようだ。かれらは祖国に同国人の妻と家庭を持ち、
ヌサンタラではプリブミと家庭を持つという暮らしを送った。

異国人の男たちを受け入れる社会にとって、このような形で社会の安寧を図るほうがはる
かに都合がよかったのは明らかだ。単なる性欲処理のために売春宿へ行って娼婦とその場
限りの性行為を行うあり方は、その社会に逗留している異国の男たちに社会的責任感を植
え付けない。地元の女を妻にし、その親族たちが親戚として絡んでくるあり方のほうが、
異国人を社会の中に取り込むのにはるかに優れた方式であることは明白だろう。


バタヴィアの売春婦になったのは、プリブミは言うに及ばず、華人、日本人、オランダ人
や他のヨーロッパ人、そして異国人とプリブミとの混血者など、多岐にわたった。

現代インドネシアの刑法典は基本的にオランダ時代のものが維持されていて、その改定作
業が進められているがまだ確定していない。その現行刑法典の中で売春は犯罪に取り上げ
られていない。つまりオランダ時代から売春は非合法にされていなかったということなの
である。売る者も買う者も犯罪の対象にされたことはなく、社会風紀を侵すものとして官
憲が昔から取締りを行ってきたのだ。犯罪に対する措置ではない。

反対に、男色に対する制裁の方が厳しかった。LGBTも刑法典は非合法にしていない。
しかしキリスト教社会における社会禁忌への制裁は刑法典よりすさまじかったのだろう。
買春をする社会的著名人にとって、それが発覚したところで致命的な名誉の汚損になるこ
とはなかったし、売春で生計を立てている女性が、たとえ侮蔑はされても世の中からつま
はじきされることもなかった。しかし、少年を含む若い男を買ったり手なずけたりして男
色を行う社会的著名人には、人格が崩壊するほど強い非難が社会から降りかかって来た。

1938年にはホテルでプリブミ少年とセックスしていた政庁高官が逮捕される事件があ
った。その高官は裁判で有罪となり、バンドンのスカミスキン刑務所で1年半の刑期をつ
とめた。男子生徒たちを男色の相手にしていたプリブミ向け小学校の管理者が、事実の発
覚を恐れて自殺した事件もあった。[ 続く ]