「カフィルは不信仰者か?」(2021年01月15日)

ライター: 文司、ジャカルタ在住、レミ・シラド
ソース: 2003年9月13日付けコンパス紙 "Kafir"

4月14日に放送されたWho wants to be the Presidentと題するTV番組の中でエッギ
・スジャナがモフタル・パッパハンをカフィルkafirと呼んだ。言われた方は強く否定し
た。「わたしはクリスチャンだ。カフィルではない!」
ふたりとも、自分が使ったカフィルという言葉の定義を述べなかった。

カフィルとは、本当はどういう意味なのか?KBBIに記された語義は、tidak percaya 
kepada Allah dan Rasul-Nyaとなっている。ポピュラーな単語であり、映画のタイトルに
さえなった。これは形容詞だ。


元々kafirは名詞だった。セム族やヘブライ語あるいはその他のひとつの神を崇めた種族
の文献に注目するかぎりはそうなっている。唯一の神は賞賛・崇敬・尊崇・畏怖を添えた
種々の名称で呼ばれた。絶対創造主Elohim、大治癒者YHWH-Rophe、大守護者にして大調整
者YHWH-Jireh、聖心付与者YHWH-Megadesh、安寧繁栄付与者YHWH-Shalom、アブラハムに姿
を顕示し者El shaddai、等々。

ヘブライ語での名詞kafirはまず文献Dibre Hayyamim (I, 27:25)の書に見つかる。そして、
そこでの意味は部落・村・国・城市になっている。

歴史の中で神にたいへん忠実な預言者アブラハムが東からウルカスディムを経て西に向か
ったとき、かれが通過した部落・村・国・城市がカフィルだった。つまりそれらの中に住
んでいる人間はだれひとりとしてアブラハムが崇める唯一の神について知らなかったので
ある。

アレキサンダー大王Iskandar Zulkarnainがインドに向けて東方への出征を行ったとき、
ギリシャ語も部落・村・国・城市に広まった。そのころ、ギリシャ語ethneがヘレニズム
文明の外にいる諸種族の呼称として使われた。

西暦紀元の初めごろ、ethneはユダヤ人の崇拝する唯一の神を信じない諸種族の意味を含
むようになった。この一神教での含意におけるethneはMaththaion(28:19-20)の中にはじ
めて出現する。

ローマを経てキリスト教が威勢を高めると、それの同義語であるラテン語paganが現れた。
paganはふたつの語義を持った。ひとつは部落・村・国・城市としてのカフィル、ギリシ
ャ外の諸種族ethneだ。

その当時、唯一神を崇めたキリスト教徒は非ギリシャ人のethneと共に部落・村・国・城
市であるカフィルで共同生活を営まなければならなかったという構図がpaganという言葉
の中に描き出されている。そうしてpaganは偶像崇拝者の意味になった。アラブ世界にと
って外来語であるヘブライ語の単語が紀元前数千年前に既にひとつの文学を秘めており、
種々の神学用語や教会倫理を遺産に残したのである。

ヨルダンのアンマンに住むイスラム史学教授であるアラブ人キリスト教徒、カマル・サリ
ビのドイツ語の修士論文Die Bibel kam aus dem Lande Asirには、イスラエルの血統はア
ラビア半島周辺で形成されたと記されている。


それは別にして、カフィルの語はアラブの文献の中で独自に見て行く必要があるのだ。神
の啓示であるクルアンの中でカフィルの語は雌牛の章Al Baqarah(2.41,2,217)、識別の章
Al Furqaan(25.55)、騙し合いの章Al Taghaabun(64.2)、消息の章An Nabaa(78.40)に見つ
かる。

インドネシア語ではなくマレーシア語においてカフィルの意味を、「イスラムでない人間」
とモハンマッ・サレ・ダウッが日用辞典Kamus Harianの中で定義付けたのは、そこに由来
していると思われる。

その点においては、エッギは正しいだろう。あるムスリム学識者が7月29日にRPKの
ラジオインタビューで「異教徒というコンテキストで他の宗教者をすべてカフィルと呼び、
自分の宗教というポイントでmukmin(忠実な信徒)と呼んでいる。」と発言したことは、
もっと真摯に取り上げられなければならない問題にちがいあるまい。

モフタルが聖書の中にある伝統的キリスト教用語、つまりギリシャ語を使うのであれば、
apeitheoやapistosという言葉がある。前者の明示的意味は使徒行伝Kisah para Rasul14:
2で「神を信じない」、後者はコリント人へ第一の手紙1 Korintus 7:14で「信仰心を持た
ない」だ。