「バタヴィアの売春婦(終)」(2021年01月18日)

軍隊に入ると、衣食住が保証される。そしてその上に給料がもらえる。もらった金を何に
使えと言うのか?仕送り先を持つ人間には良いだろうが、そうでない者は酒と女に使うし
かないだろう。そういう環境にしておきながら、過剰飲酒と病気持ち娼婦に気を付けろと
警告を与え、教育を行う。それが人間の業というものなのかもしれない。

女について言うなら、軍隊は買春を勧めていると見ることさえできそうだ。その女までも
が、軍が公娼制度を作って用意してくれるとなれば、軍は(つまりは国は)兵隊への給料
を徹底的に切り詰めることができるにちがいあるまい。兵隊向け公娼制度というのは、妻
を求める夫のように兵士をいたわり、痒いところに手を届かせてかれらへの愛情を示すと
いうことが真の本質だった考えると足元をすくわれかねないのではないか?

東インド植民地軍KNILは兵員の教育訓練の一課程として性欲処理を教えた、とオルバ
期初期に情報大臣を務めたKNIL体験者は語っている。「性欲処理は売春婦を使えと教
えられた。挿入前に一物にSN軟膏を塗れと言われた。一物がひりひりするまで擦り込む
のが病気予防の唯一の方法だそうだ。」

インドネシア国軍中将のひとりは、植民地時代に政府派遣医師としてカリマンタンで勤務
した。「KNILの兵営が設けられた町には、必ず売春婦が出現した。例外はなかった。
売春のための宿は兵営の近辺にできた。隣か、裏か、ほんの至近距離だ。たとえば、バリ
ッパパンでは現在の市警本部がKNIL軍本営だった。売春宿はドンダン通りにできた。」
とかれは述べている。


独立宣言後、戻って来たオランダ人がKNILを復活させると、また昔ながらの光景が展
開されるようになった。日本軍政期にプルンプアンを集めた慰安所が街のど真ん中に設け
られた記憶は早々に消え失せて、KNIL兵営付近にはまたまた売春宿が店開きした。そ
の兵営の住人のほとんどがプリブミであろうが、ブランダであろうが、違いはなかったよ
うだ。

だがその時期になると、KNIL上層部は兵員の買春を抑止する方向に動いた。たとえ売
春婦であろうと独立を要求して反乱を起こしたプリブミであることに違いはない。不測の
事態はだれもが懸念するところだろう。兵員の買春取締りに憲兵が動員され、性病の恐怖
を煽りたてる啓蒙教育さえ行われた。だがプリブミが革命期と呼んだその対オランダ独立
維持闘争期の経済状況の劣悪さがたくさんのプリブミ女性を性の商売に誘ったことも事実
であり、KNIL兵士たちにとって性欲処理問題にたいした困難はなかったらしい。

1945〜50年のインドネシアにおけるオランダ兵の実情を物語る体験記を集めた書に
よれば、売りオファーをしてきたプリブミ女性のひとりを数人の兵士が買い受け、女を横
たわらせるとひとりずつ順番に輪姦した。ひとりがやっているとき、他の者は見物する。
プリブミ女は性観念があまりにも低級だとその筆者は書いている。

「色の黒い女たちは実に簡単に手に入った。だがわたしはあまり食指を動かさなかった。
かの女たちの8割は病気を持っているのだから。かの女たちは日本人に使われ、その後イ
ギリス軍インド兵に使われた。きっと身体も心も腐っているにちがいあるまい。」別のオ
ランダ兵はそう書いた。

性病は兵営の中で容易に蔓延した。もちろん売春婦を介して起こることだ。被害はKNI
Lの白人兵士にもプリブミ兵士にも起こった。その一方で、KNILと戦争をしていたイ
ンドネシア共和国軍兵士の間にも売春婦から性病をもらった兵士が少なからず出た。それ
は戦争をやめろという神の啓示だったのかもしれない。[ 完 ]