「最期のトラ」(2021年02月22日)

ライター: コンパス紙記者、アッマッ・アリフ
ソース: 2018年3月14日付けコンパス紙 "Harimau Terakhir"

鳥のさえずりやサルの叫びで賑やかだった森の中が一瞬にして静まり返った。アウォーン
というトラの声が響いたからだ。ただの一度で十分だ。それだけで辺りにいるすべての者
の肝を冷やすに事足りるのだから。

われわれ一行も例外ではない。2012年半ばにジャンビ州クリンチセブラッ国立公園の
大森林の奥地をルナクムム村目指して12時間も進んでいたわれわれも警戒を強めた。歩
いている踏み分け道に大小さまざまなトラの足跡が残されている。トラが一回だけ吠える
のは邪魔者の侵入に対する不快感を示しているのだ、と一行を案内しているルナクムム村
民が語った。

われわれがルナクムム村に着いたとき、陽は既に落ちていた。数千年にもさかのぼる巨石
文化の歴史を持つこの村はトラと共に生きる村だ。トラと共存する村人たちの日常生活は
劇的なエピソードに彩られている。村人がトラによって生命を落とす事件はほとんど毎年
起こっている。ところがかれらは決してトラを狩ろうとしない。森の中で暮らすかれらは、
その森が誰のものであるのかを知っているのだ。「ここはかれらの家なのだ。われわれが
もっと気を付けなければならないのだ。」村の長老はそう語った。

長老のその言葉はウィリアム・マースデン著「スマトラ史」(1873年)の文章を思い
出させた。「大勢の人間がトラに殺された。ある村の全住民がトラに食い殺されたという
話を聞いたことがある。」


歴史家ピーテル・ボームハーツはその著「恐怖のフロンティア:マレー世界のトラと人間
1600−1950」(2001年)の中で、1818−1855年にスマトラ島でトラ
に殺された人間は年平均1千人に達したと書いている。もっとも多かったのはランプン地
方で、そのうちの8百人を占めた。

犠牲者がたくさん出ても、スマトラ島民はめったにトラを狩ろうとしなかった、とマース
デンは書いている。トラを殺した者への巨額の報酬をオランダ植民地政庁が用意したにも
かかわらずだ。

当時のインドネシアの民衆にとって、トラは怖ろしいものであると同時に尊敬の対象でも
あった。スマトラの民衆が持っている説話にトラへの敬意が明白に描かれている。トラを
祖先として描いているものすらあった。南スマトラでpuyang、西スマトラとジャンビでは
datuakあるいはinyiak、バタッでopungなどといったトラの呼称は尊称である。ジャワや
バリでもそれは同じだった。ワヤンクリに登場する数少ない動物の中にトラがいる。

プリブミ民衆のトラに対する感情とは異なり、オランダ人はトラを滅ぼされるべきものと
して扱った。人間とトラの闘争が激化した。特にジャワとバリで。

ボームハーツの記述では、1830年代初めごろまでジャワ島内のあちらこちらにトラの
勢力地盤が存在していた。1820〜30年にトラや他のネコ科の野獣に殺されたジャワ
島民は年間5百人に達し、一方トラは年間に1,100頭が殺された。1830〜50年
では、年間にジャワ島民の死者は2百人、トラは900頭が殺された。

1830〜70年に大規模に行われたジャワ島内の森林開墾とその農園農地化にともなっ
てトラと人間の衝突は多発した。西ジャワのプリアガン地方では1855年だけで147
人がトラの餌食になっている。

トラに関する神話の影響を受けないオランダ人はジャワとバリでトラの殲滅活動を推進し
た。オランダ時代が終わった後も、その動きは継続した。1940年代にバリ虎絶滅が宣
言されて1980年代にジャワ虎がそれに続いた。インドネシアにいたトラは今やスマト
ラ虎を残すのみになった。


ドイツのライプニッツ動物野生調査研究所のアンドレアス・ウィルティン博士は2015
年に、スマトラ虎の遺伝子はジャワ虎とバリ虎のものとよく似ていることを発表した。博
士はその結果に従ってトラの亜種分類法を分類学・遺伝子学・生態学を加えて新しいもの
に改定するよう提案した。その提案とは、トラの亜種はスンダ虎と大陸虎の二種類にして
はどうかというもので、スマトラ虎・ジャワ虎・バリ虎がスンダ虎を構成するものになる。
残る6種の大陸に住むトラは大陸虎にまとめられることになる。

この学術的見解は、既に絶滅したジャワとバリのトラをスマトラ虎で代表させようとする
ものだという議論を呼んだことがある。生物学的にはそうであっても、トラはもはやこの
地上に地盤を失いつつある。おまけにトラと人間のコンフリクトは発生し続けているのだ。
もはや時間の問題でしかないのだろう。スマトラトラが絶滅の道をたどるのは。