「恐怖のフロンテイアー(2)」(2021年02月24日)

< 生物学的側面 >
ボームハーツは著作の最初を、東南アジアのトラの生態学と生物学的実態描写で開始させ
ている。トラは世界中の動物園で常に来訪客の注意と関心を引く、もっとも印象的な動物
だ。シドニーのタロンガで、サンフランシスコのマリンワールドで、アムステルダムのア
ーティスト動物園で、まだトラを見ていない来訪客は物足りない思いを抱く。トラが来訪
客の関心を集めるのは、それがネコ科最大の動物であるということだけでなく、トラのラ
ベルと化した恐怖の主という印象のゆえでもある。

トラは、生の進展の中で起こる進化の存在を証明する地理的バリエーションを明瞭に示す
種のひとつである。この動物は北部モンゴリアの大高原地帯で誕生した。北半球が厳しい
寒冷に襲われた氷河期にあらゆる生物は熱帯地域に移住した。当然その中にトラもいた。
餌食にする動物と共に移動したのである。トラはその出自にからんだ振舞いをいまだに保
持している。水の中に全身を浸けて涼を取るのだ。

動物園にいる各地のトラを比べて見るなら、スマトラとシベリアとインドのそれぞれのト
ラの間に形態やサイズのかなりの差異を見出すことができるだろうとボームハーツは書い
ている。シベリアのトラは毛が長く、太っていて、ライオンより巨大な体躯をしている。
インドのトラはシベリアのトラほど大きくないが、色の白い変種がいる。3万5千米ドル
の値が付いているレワの白トラほど訪問客の興味を集めているトラはあるまい。

ボームハーツは、スマトラトラほど明白にわからないジャワとバリのトラについても、そ
の特徴を述べている。スマトラトラは現存するトラの中でもっとも身体が小さいものの、
縞模様の地の色である濃く輝く黄金の色は匹敵する者がいない印象を与えている。しかし
ボームハーツはそれらの違いについて、その原因に関する考察を述べていない。

ボームハーツは著書の数カ所で農園農地の開墾とトラの繁殖について強調しているが、餌
食になる動物のバイオマスが比較的高い、リヴァラインフォレストやサヴァンナウッドラ
ンドのような開けた森林でトラの繁殖が容易になるのだという理解がなされるべきだろう。
そのような場所では、角シカやホエジカ、水牛や野牛など大型種の餌食もたくさん暮らし
ているのだから。

そこに述べられているバンテン地方での自然環境の変化も興味深いものがある。熱帯雨林
の湿地ジャングルから比較的開けた畑地へのエコシステムの変化がトラの頭数密度を高め
た。しかし、ホーハヴェルフが1938年にウジュンクロンで撮影したトラの写真がバン
テン地方における最期のものになった。かつては普通の熱帯雨林の湿地ジャングルだった
バンテンは東ジャワのようなサヴァンナ林に比べてトラの餌食になる動物のバイオマスが
厚みを持っていなかったのである。

ボームハーツはまた、捕らえた場所で餌食をすぐに食べることをしないトラの食習慣につ
いても触れている。トラは食事のあと大量の水を必要とするため、たいてい餌食を水のあ
る場所まで運ぶのである。ハイラシュ・サンカラはその著タイガー!(シモン&シャスタ
ー、1977年)の中で、トラが子供に食物を与える様子を描いている。たとえば水牛を
捕まえた時、内臓を取り出して空にし、藪に近い場所に運ぶ。そこで一家の食事が行われ
る。子供たちには水牛の肉、中でも胸の脂肪の層を食べさせるのである。

トラが孤独な暮らしを営む猫であることはよく知られている。トラは自分の縄張りを小便
と臭腺やツメ跡で表示し、自分自身も他のトラの縄張りを避ける傾向を持っている。トラ
の孤独なライフスタイルを、かれが狩りをするときの姿があからさまに描き出している。

< 文化的側面 >
文化的側面についてボームハーツは、インドネシアの民衆がトラに対して持っている伝承
のいくつかに触れている。ジャワでは、動物を捕獲するのにブクンクンbekungkungと呼ば
れる罠が作られた。またジャワではランポガンrampoganの儀式の一部としてトラを殺す場
面が見世物にされた。この儀式は王宮の表のアルナルンalun-alunで行われ、王がそれを
指揮して王としての偉大さを誇示した。王に盾つく者は刑罰としてトラの檻に入れられた。

しかしスマトラでは、トラを殺すことはあまり行われなかった。アチェですら、トラのよ
うな大型哺乳動物を殺すための毒を作らなかった。[ 続く ]