「クロンチョントゥグ(7)」(2021年03月01日)

使われる楽器はほとんど住民が手作りで制作した。村の周辺に生えているクナ~ガkenanga
などの硬い木をよく乾燥させて楽器制作の材料にした。かれらはウクレレをクロンチョン
と呼び、大小二種類のウクレレを作ってそれぞれをcakulele、cukuleleと呼んだ。省略形
がcakとcukだ。あるいはクロンチョン1とクロンチョン2という呼び方もなされた。昔、
弦はアンゴラ猫の筋が使われていたそうだが、近年では釣り糸が使われている。

19世紀末になるころ、かれらが作ったウクレレはパサルバルにあるティオ・テッホンTio 
Tek Hongの楽器店で販売された。ウクレレをひとつ作るのにひと月かかったそうだ。


中部ジャワ州ソロのクロンチョン音楽家で作曲家でもあるアンジャル・アニ氏は、クロン
チョン音楽はトゥグで生まれた音楽であり、ポルトガルに由来するものではない、と持論
を語る。

ポルトガルには昔から今日に至るまで、クロンチョンあるいはそれに似た言葉で呼ばれる
音楽は存在しない。また旋律やリズムやコード進行の面でクロンチョン特有の音楽的特徴
を持つポルトガルの音楽ジャンルも存在しない。ポルトガルのミュージシャンにクロンチ
ョンを演奏させても、クロンチョンのこつをてほどきしてもらわないかぎり、クロンチョ
ンらしいクロンチョンにならない。クロンチョンは間違いなくインドネシアで生まれたロ
ーカル芸術なのである。

クロンチョンにはクロンチョンブタウィがあり、クロンチョンスラバヤがあり、クロンチ
ョンソロやスマランなどさまざまなスタイルがある。それらは各地元の性格が反映された
バリエーションである。バリエーションが生まれること自体が、いかにクロンチョンが進
取的本質を備えているかということを証明している。

その地方ごとの差異は特に演奏者の技量とテイストを反映して変化して来た歴史があるの
だが、現在ではそれらが混じり合ったものへと収束して行く傾向が顕著になっている。ジ
ャカルタでソロスタイルの演奏が行われるといったことはもう当たり前なのだ。

スタイルの違いというのは、歌に関するものと楽団編成つまり楽器のバリエーションがも
たらすもので、更には楽器の奏法も関係している。使われる楽器は時代の流れに合わせて
変化し、その時代の彩りを音楽の中に反映させた。そのために1930年代以前の楽団編
成に使われた楽器と現代クロンチョンの楽器は大きく異なっていて、古いクロンチョンは
旧スタイルと呼ばれている。

クロンチョンのリズムはたいていの曲に合う。ポップス・ダンドゥッ・マンダリン・西洋
ヒット曲などなんでも来いだ。クロンチョン曲の中にも系統がある。オリジナルクロンチ
ョン曲・スタンブル曲・ランガムクロンチョン・エクストラ曲・ランガムジャワ曲等々で
ある。

クロンチョンは固有のスタイルを持っているために、クロンチョン音楽を作曲する際には
拍数やコード進行がそれから逸脱しないように制限を受ける。作曲者の個性を注ぎ込める
余地が制限されているとも言える。


オランダ時代にトゥグコミュニティは、毎年8月31日のヴィルヘルミナ女王誕生日の祝
祭を村をあげて行った。催しの中には射的の腕比べもあり、狩猟自慢の村人たちが腕前を
競った。クマヨランのIndoたちが少なからずその祝祭を愉しむためにトゥグへ遊びに来て、
クロンチョン楽団と親交を結んだ。こうして、クマヨランにクロンチョンが移植されて行
った、とクロンチョン楽団の老メンバーは語っている。

トゥグ村も本質は農村であり、大収穫の際には祭りが行われる。かれらは収穫の一部を教
会に寄贈し、教会がそれを売って教会活動の資金に当てる。大収穫祭は8月に行われ、今
でも射的の腕比べは毎年行われているそうだ。[ 続く ]