「ヌサンタラのライオン(2)」(2021年03月04日)

東ジャワ州にはマランMalangの近くにシ~ガサリSingasariがあって、これはマジャパヒッ
王国の前にジャワを支配した王国の名称にもなった。シ~ガサリ王国最後の王、クルタヌ
ガラKertanegaraの時、ヌサンタラを鎮撫しようとして中国の元王朝が派遣してきた使節
を傷付けて追い返したために元のジャワ島征伐軍を迎える破目になった。

シ~ガサリ王国は元軍到着前に反乱で崩壊したが、クルタヌガラの婿ラデン・ウィジャヤ
の調略で反乱者は元軍に滅ぼされ、ジャワ島征服戦は終わったと思って油断していた元軍
を今度はラデン・ウィジャヤの軍勢が撃ち払ってマジャパヒッ王国を建設したという歴史
になっている。

西ジャワ州タシッマラヤTasikmalayaにもライオンの名前のついた地名がある。シ~ガパル
ナSingaparna郡はタシッマラヤの町の西側に隣接している。この地名の由来はよく分から
ないのだが、16世紀のガルングンGalunggung王国第七代の王プラブ・ラジャディプンタ
ンPrabu Rajadipuntangの王子のひとりがその名前であり、そのためにその王子に由来を
結びつける説がある。

西ジャワにはまたガルッGarut県にシ~ガジャヤSingajaya郡もあり、バンドン市の南西郊
外にはシ~ガSinga山もある。そしてスマトラ島にも、シ~ガSingaという名の村があちこち
に存在している。


シ~ガパルナ王子の例に見られるのと同じように、北スマトラ地方のバタッBatak族にはシ
シ~ガマ~ガラジャSisingamangarajaという名の王様がいる。昔のヒンドゥブッダ時代の王
侯貴族の中にはシ~ガあるいはシンハの言葉を含んだ人名がさまざまに登場しているので
ある。シンハウィクラマワルダナSinghawikramawardhanaはマジャパヒッの王であり、キ
ラタシンハKirathasinghaはカリンガ王国の王なのだ。それらの事実は、その昔ライオン
がヌサンタラに棲息していたことを示すものなのだろうか?

ライオンの歴史的棲息分布図を見るなら、アフリカを主体に北はバルカン半島南部、東は
インド亜大陸までがその領域であって、ヌサンタラは含まれていない。古代からヌサンタ
ラにライオンが棲息したことはなかったと考古学者は語っている。ならば、どうしてライ
オンという言葉がヌサンタラのあちこちに散見されるのか?その答えはどうやら、サンス
クリット文化がもたらしたものだったようだ。中国にライオンはおらず、日本にだってい
たことがない。にもかかわらず、遠い昔から獅子という名の動物のことが知られていたの
と同じだろう。

サンスクリット語でライオンはシンハsinghaと呼ばれた。サンスクリット文字からの移し
替えはsimhaとなるようだが、発音はシンハになっている。ちなみに、古代ジャワ島に入
って来たサンスクリット語が土着化して古代ジャワ語と混じり合い、主に王宮の文書に使
われていた言葉はカウィ語bahasa Kawiと呼ばれ、きわめて多数のサンスクリット語を含
んでいた。言うまでもなく、元の語義に忠実なものもあれば、語義が変化してしまったも
のもある。

そのカウィ語の中に間違いもなくシンハが含まれている。カウィ語辞典を調べてみるなら、
singhaの語義はharimau, kuat, singaとなっていて、ジャワで最強の動物の意味が第一義、
強いことが第二義、現代におけるライオンの意味が第三義になっている。辞典にはさらに
singhabarongがシンハと同義語、singhaderryaの語義はライオンのように勇猛な、また
singhakaraはライオンのように目立つ、singhakrtiはライオンのように堂々としたの意味
で、singhanadaが歓呼の声、singhanabdaは唸り声、singhasana玉座、singhawikramaライ
オンの勇猛さ、などの言葉が採録されている。はたして古代ジャワ人は毛皮ででもライオ
ンを見たことがあるのかないのかよく分からないが、シンハの概念はひとびとの精神生活
にしっかりと入り込んでいた印象を受ける。[ 続く ]