「ヌサンタラのライオン(3)」(2021年03月05日)

ヒンドゥ文化では、ライオンはウィスヌ神の化身のひとつとされ、Narasimhaと表記され
て崇められた。ブッダつまりゴータマ・シッダルタにはシャキヤSakya族のライオンとい
うあだ名が与えられているし、仏教でシンハはダルマの守護者であると考えられている。
余談になるが、ブッダ(佛陀)という言葉はサンスクリット語のbudhに由来していて、原
義は固有名詞や抽象名詞でなく動名詞であり、budiというインドネシア語になって取り込
まれている。仏教用語にある「菩提薩?」という言葉もどうやらインドネシア語でbudi-
satwaに該当しているように思われ、難しい仏教用語もインドネシア語で理解すると分か
りやすいのではないかという気がわたしにはする。

インドでは太古の時代からライオンの像が王宮や寺院に置かれて、人間のライオンに対す
る憧憬が大きかったことをそれが示しているように思われる。日本の狛犬の習慣はどうや
らそのような現象に関連しているようで、インドの仏教文化が中国に伝わり、日本に流入
してくるときに宗教の本質を取り囲む文化様式として入って来たのではあるまいか。

インド人にシンSingh、シンガSingha、シンハSinhaなどの姓があるのは、かれらは元々ク
サトリア階級の出自で、戦士の家系であるためにライオンの強さにあやかって取られたも
のと考えられている。だが、それだけではないだろう。ライオンのイメージを姓に持つと
いうことは、単に強い・勇ましいという印象だけでなく、ライオンという存在あるいはそ
の言葉に善・秀・貴の語感が付随してこそ起こり得るものだとわたしは思う。


こうして古代ジャワにヒンドゥ=ブッダ文化が入ってきたとき、シンハというものの概念
と価値観がもたらされた。古代ジャワでチャンディがたくさん建設されたとき、高貴な者
が関わったチャンディはまず間違いなしにシンハの像やレリーフが建物を飾ったようだ。

チャンディボロブドゥルCandi Borobudurに置かれているシンハの像は32個を超えてい
るし、レリーフに描かれているシンハも数多い。面白いのはシンハの像に角のあるものが
いることで、日本の狛犬の像にも角があるものがおり、別系統で伝来したものではあって
も由来の類似性を感じさせてくれる。

ヌサンタラのひとびとにとってシンハというものはインド人が描いた神話的存在として受
容されたものであり、しかもインド人が抱いた価値観がそのまま受容されたわけだから、
シンハという言葉を地名姓名などのアトリビュートに使うことは特別な意味を持っていた
にちがいあるまい。そのように価値のあるシンハが欠けているチャンディというのは、作
られたときから下層低級のチャンディだったという見方がなされるのも当然だと言えない
だろうか。

シンハは善と守護の神通力を持ち、厄を払い、不浄を清めるものとして尊重された。動物
と見なされず、架空の抽象的な存在であって、現代のわれわれがシ~ガsingaをライオンと
同一視する視点は昔のヌサンタラにおいてほとんど希薄なものでしかなかったのではある
まいか。それはきっと、中国や日本における獅子と似たようなものだったように感じられ
る。


北スマトラのバタッ族にもシンハの文化があり、かれらは日用品にシンハの彫刻を施して
厄除けと守護のシンボルに使っている。シンハの像も作られるが、往々にして人間・水牛
・ワニが合体したような姿で作られる。顔は長く、カッと見開かれた目、彫りの深い鼻、
らせん状の長いあごひげなどが特徴的だ。

バタッでシンハはナガnaga(龍)と融合されてしまい、シンハがナガやボルサニアンナガ
Boru Saniang Nagaと呼ばれることもある。ジャワにも類似の現象があって、ジャワ人も
シ~ガナガsinga nagaあるいはナガシ~ガnaga singaという言葉を言う。[ 続く ]