「バタヴィアの20年代(終)」(2021年03月25日)

バタヴィアの中心部、ヴェルテフレーデンやコタ地区にはたくさんのナイトクラブが煌々
たる灯りに照らされて華やかなナイトスポットを演出し、多くのミュージシャンに仕事場
所を提供した。

夜の世界ともなれば、男たちをいざなう若い娘たちがいなくてはお話にならない。大戦前
の時代は日本人からゆきさんがバタヴィアの夜の世界に有力な勢力を築いていたが、20
年代になって新たな潮流が始まった。日本政府がからゆきさんを国辱問題として対処し始
めたことも、そこに影を落としているにちがいあるまい。

20年代のバタヴィアで、ナイトライフにモダンな彩を添えた娘たちはシンソンガールズ
Sing-Song Girlsと呼ばれる中国娘たちだった。かの女たちの大半は上海の夜が育て上げ
た妓女であり、男を愉しませる術にかけては比類ない資質と技能を持っていた。歌い、最
新のダンスを踊り、演舞ができてロマンチックな風情を見せる娘たちは、顔だちも良く、
上背があってスマートな身体付きで、その肉体を腿まで切れ上がった長衫cheongsamに包
んで客を接待した。かの女たちを20年代のバタヴィアの夜の華だったと懐古する賛辞は
少なくない。


上海のシンソンガールズという名称は、シンソンハウスで歌を唄って客をもてなすホステ
スの仕事をしていたことから命名されたわけだが、上海の呉語でエンターテイナーを意味
する先生sian sangにも掛けられた言葉だったそうだ。

シンソンハウスは金持ち男性を接待して愉しませる場所であり、そこで客を待つ女性たち
は子供のころから上流層男性を愉しませる技術を訓練されて育った者たちだった。性サー
ビスを優先商品にしていたわけではないが、ほとんどの妓女はそれを行った。男の愉しみ
の究極がそれだったということかもしれない。あるいは男女平等を娘たちが求めたのだろ
うか。

シンソンガールズは特殊な衣装や化粧をすることなく、一般上流層女性が着る長衫を着、
ひとり以上の旦那を持ち、旦那からもらう手当で自分の高額な日常生活と実家の生計の面
倒を見、最後は旦那の妻あるいは妾になってシンソンハウスから出て行く人生を送った。
極東の別の国にも、形は異なれ類似の風俗がなかったろうか?

このような、男を慰安する女というコンセプトは中国で2千年の歴史を持っており、歌妓
・歌姫・謳者などの言葉で呼ばれてきた。英語のシンソンガールという言葉が作られたの
は1911年であり、その言葉から歌女という中国語が新たに生まれている。


かの女たちの英語は相当なブロークンだったようで、それを揶揄し、同時にかの女たちの
生き方をも風刺したミス上海という詩が作られている。正しく韻が踏まれているのは見て
の通りだ。当のかの女たちが作ったのだろうか、それとも上海の夜のブアヤとなったイギ
リス人が作ったのだろうか。
Me no worry, Me no care
Me go marry millionaire
If he die, Me no cry
Me go marry other guy
[ 完 ]