「デリ、スマトラ(1)」(2021年03月29日)

スマトラ島にもデリーDeliがある。アルファベットによる綴りは違っていても、発音はイ
ンドのデリーと同じだ。ところが、デリという地名を現代のスマトラ島で探しても見つか
らない。他の名称と組み合わさって登場するだけなのだから。

北スマトラ州都メダンMedanを取り巻いているのがデリスルダンDeli Serdang県で、歴史
的にこの県はデリスルタン国とスルダンスルタン国が一緒になって独立インドネシア共和
国の県になったものだ。

しかしオランダ植民地時代にはデリスルタン国の領地がデリの地と呼ばれ、デリの地で産
するデリタバコDeli tobaccoが西洋諸国のスモーカーの間で愛飲された。19世紀後半か
ら20世紀前半にかけて、デリの名前は世界中に鳴り響いていたのである。


ところで、昔の日本人はタバコを「のむ」と表現した。17世紀に世界を席巻したオラン
ダ語では、喫煙することをtoeback ghedronckenと言った。17世紀の文書にその言葉が
見つかる。その伝で、「タバコは飲むもの」という観念をオランダ人が世界に植え付けた
という話があり、それに合わせてイギリス人はdrink tobaccoと言い、日本人はタバコを
「のむ」と言い、インドネシア人はminum rokokと言ったようだ。オランダ人自身も古語
から現代語に変わったあとまでtabak drinkenやpijpen drinkenという表現をしたそうだ。

オランダ語表現に合わせたインドネシア語のminum rokokは現代インドネシア語でもまだ
使われていて、merokokと併用されている。ただしインドネシア語のrokokは英語の動詞
smokeに対応するオランダ語rokenに由来しているので、ロジカルにはminum tembakauが正
訳かもしれないが、いくらなんでもそれでは誤解をして死ぬ人間が出るおそれがあるから、
論理に忠実であることが良いとは限らない。

一説によれば、昔の西洋人は喫煙が頭痛や歯痛への治療効果を持っているとか、空腹時の
喫煙が便秘に効くなどと考え、薬を飲むイメージでその表現を使ったとのことだ。日本語
の「タバコの一服」も薬を飲むイメージが付随している。

日本人のタバコを「のむ」という表現がオランダ人の影響によってできたものであるのな
ら、ポルトガル人が日本にタバコを持ち込んだときにきっとbeber tabacoとは言わなかっ
たのだろう。ポルトガル人はそのころ、喫煙するという動詞をどのような言葉で表現した
のだろうか?ポルトガル人宣教師たちが日本人に「タバコを致しませう」などと言ってい
たのかどうか、興味の湧くところだ。

ポルトガル人が日本人に教えた表現が、後追いで来たオランダ人の表現に置き換えられて
「タバコをのむ」が定着したのであれば、これは例のジャガタライモの話にたいへんよく
似てくる。キリスト教伝道に熱心だったポルトガル人がいかに日本の為政者に嫌われてい
たかということをそれらのできごとが物語っているように感じるのは、わたしだけだろう
か?


余談はさておき、デリという名の町がないのなら、デリスルタン国の王都はデリと呼ばれ
なかったのだろうか?そんなことはない。デリスルタン国の王都はデリだったのである。
北スマトラ州都メダンの町の歴史を読むと、その謎が解ける。

メダンの歴史は1590年までさかのぼることができる。勃興してきたアチェスルタン国
が今のメダンにあったハルHaru王国を攻略した記録が一番古い。ハル王国はアチェばかり
か、マラヤ半島にある他のスルタン国に征服されたり、あるいはマジャパヒッの外征で征
服されたりしている。[ 続く ]