「インドネシアのエリート」(2021年03月31日)

ライター: バンドン工科大学造形意匠学部名誉教授、文詞、スジョコ
ソース: 2003年2月8日付けコンパス紙 "Maling Itu Elite"

かつてバンドンにエリータElitaという名の映画館があった。そこで上映される映画は優
れた作品だけだということを誰もが知っていた。アジア映画、殴り合い映画、バンバンバ
ンッだらけの映画はエリータに掛からないのだ。それらは一般庶民の見るものであり、低
級映画館の領分なのである。こうして、だんだんとひとびとはエリータという言葉の意味
を悟るようになっていった。

そこへ日本軍がやってきた。われわれはエリータの名称をプスピタPuspitaに変えた。西
洋の匂いがしてはならないのだ。Amerika kita seterika, Inggeris kita linggis.のモ
ットーに従わなければならないのだから。さすがに日本時代には、インドネシア語に英単
語を混ぜて話すインドリッシュの輩はいなかった。

エリータの名称がなくされてしまったために、エリートeliteの意味がバンドン市民に分
からなくなったのが残念だ。ましてや、元々インドネシア民族はその言葉すら知らなかっ
たのである。

オランダの支配下にあった時代、インドネシア人はエリートという単語をまったく耳にせ
ず、したがってそれを口に上らせることもなかった。なぜなら、オランダ人自身がkeurや
speciaalなどの同義語を使う方を好んだためだ。オランダ人はelite troepenと言わない
で、keurkorpsやuitgelezen mariniersという言い方をした。

イギリスがオランダの隣国だったからと言って、オランダ民族がインドリッシュのような
真似をすることはなかった。道理でeliteという単語は、われらインドネシア共和国民衆
の日常会話の中で、なじみの薄い言葉だったのである。われわれはkeurやuitgelezenの語
彙に該当するインドネシア語pilihanを使うのが普通だった。ザインとウォヨワシトがか
れらの辞書の中にeliteあるいはelitの語を採録しなかった理由はよく分かる。


改革と呼ばれるようになったレフォルマシ時代のある日、ある新聞がeliteの語を載せた。
思いもかけず、だれひとり予想しなかったにもかかわらず、たちまちその言葉は政治を語
るひとびとの舌から流れ落ちるようになった。たいへんすさまじい勢いで。このelitとい
う語にいったい何があったのだろうか?どうやらその語はselebritiという語のように、
きらめき、鳴り響いたのだろう。ただし、そこにはたいへんな違いがある。

最初、そのエリートという語は政治家に対して使われた。どんな政治家か?たいがいがま
ともでない政治家たちだ。性格は竹を割ったようなものでなく、互いに非難し合い、陥し
いれ合い、金に汚く、議会を怠け、約束を連発し、コルプシ上手で、その他もろもろの、
このインドネシアという国を長期的な崩壊に導いた張本人たちだ。そのような連中をわれ
われはエリートと呼んだ。どうしてか?

答えは簡単。かれらは金があり、名声があって、世間から尊敬されるべきひとびとだった
からである。かれらは高職に就き、高額の報酬を得、その財産は天を衝き、自動車も最高
級で・・・・。もしもかれらがすべてに「ウワ〜!」という人種でなければ、エリートと
呼ばれることなどありえなかったはずだ。

エリートとは何か?それは西洋語だ。その意味は?ウエブスターにはこう書かれている。
The group or part of a group selected or regarded as the finest, best, most 
distinguished, most powerful, etc. 違う辞書には違う定義が書かれているが、悪い意
味のものはない。たとえば、汚職者・詐欺師・何億もの借金を踏み倒す者などには使われ
ないのだ。

しかしわれわれの習慣はちょっと違う。われわれは良くないもの・汚いものを心地よく聞
きやすい言葉で包むのである。penjaraをlembaga pemasyarakatanと言うようなものがそ
の例だ。サンティネッさんはそれを「言葉の滑りを良くする」と呼んだ。きれいな言葉で
包んで世間の通りをよくすることだ。その習慣を使ってわれわれは、善悪・白黒・正誤の
差を見えにくくするのがお得意である。

だったら、エリートの語義をわれわれはインドネシア語でどうするべきなのか?いやいや、
難しく考えるには及ばない。pemimpin, pemuka, tokoh, jagoanなどでいいのだ。いや、
もっと、たとえばpentolanと呼んでもいいし、gegedug, kokojo, luluguなんかも良さそ
うだ。われわれには有名なミュージシャンのJadugもいる。

わたし自身、ジャドゥッと呼ばれても一向にかまわない。それでもまだ物足りないひとに
は、もっとたくさんのその種の単語がある。benggolan, Bergajul, Jaharu, Pencoleng, 
Bangsat, Samseng, Durjana, Bromocorah。われらの言葉はとても豊かなのである。だか
らどうしてエリートなどという言葉を持ち込まなければならないのか。ましてや意味が違
うあり方で。