「EtikaとEtiketの違い」(2021年04月01日)

ライター: アッマジャヤ大学名誉教授、K ベルテンス
ソース: 2012年4月12日付けコンパス紙 "Etika dan Etiket"

2012年3月5日版コンパス紙のクラシカ欄にEtika Berbicara di Teleponと題する記
事が載った。そこには、会社の電話交換手が気を付けなければならない業務上の必須項目
が書かれていた。たとえば、甲高い声で話してはならない。声の調子は常に抑制し、落ち
着いた態度で相手に接しなければならない。電話を取って会話を始める際、交換手はまず
挨拶し、自分の名前を述べること、会話を終了するときにはトゥリマカシを言い忘れては
ならないこと、云々。

電話交換手は会社の顔を世間に示す役割を担っているのだから、それらはすべて有用で大
切な教えであることに間違いはない。だが、それらのことがらがetikaだから、というこ
とでは決してないのだ。そこで述べられていることがらは単なるetiketなのであり、etika
ではないのだ。タイトルはEtiket Berbicara di Teleponに書き換えられなければならな
い。

世間でしばしば起こっているように、ここでもetikaとetiketの混用が見られる。それら
の概念はまったく違っていて、etikaはモラルの領域を示しており、etiketは礼儀作法の
領域を示している。もちろん、それらがしばしば混用されるのには訳がある。まず、イン
ドネシア語におけるそれらの単語の形態がよく似ていること。まるで、一方はもう一方の
派生語であるかのようだ。次に、もっと重要な理由として、etikaもetiketもわれわれが
暮らしの中で行うべき規範を含んでいることが挙げられる。

etiketとしては、会社の従業員は顧客に対して甲高い声や相手をせかすような調子の声で
話してはならない。etikaとしては、電話に限らず他の方法でも、顧客を欺くようなこと
を言ってはならない。そのどちらのケースにおいても、従業員が気を付けなければならな
い規範が述べられているのだが、それらの内容は基準がまったく異なっている。etiketは
礼儀作法における良し悪し、etikaはモラル上での良し悪しなのだ。


社会生活において礼儀作法が重要でないと言う気はないが、モラル面での重要性はまるで
桁違いなのだ。どうしてか?

etiketは人間をただ外側から見るだけのものである。ところがetikaは人間の心中を覗き
込むことによって内面の人間性を見ることになる。たとえばコルプトルが行政高官とどの
ように電話で話しているかを見ればよい。かれの電話での態度はとても礼儀正しい。「イ
ヤ、パッ」「ティダッ、パッ」「トゥリマカシ、パッ」と敬意溢れた上品な印象を与えて
いるが、そんな礼儀作法の下でいったい何の話をしているのか。その結果行われることが
どれほど倫理から外れたものであることか。

etikaとetiketが混用されてはいけないことがもうお分かりだろう。それをごちゃ混ぜに
してしまうと、人間の行動を評価するにあたって致命的な誤りを冒すことになる。詐欺師
の成功者は常に振舞いが礼儀正しく上品である。etiketの規範をすべて満たしているから
といって、偽善者がいないとはかぎらない。ましてやetikaに背く行為をetiketで覆い隠
すことさえ行われるのである。etiketの視点で見ていては中まで見抜くことは難しいが、
etikaの観点から眺めるなら、中身が歴然と見えてくる。