「スエーデン人リンネ(前)」(2021年04月05日)

タクソノミーtaxonomyという学問体系がある。生物学の一部門としての分類学だ。何事に
よらず、国が違えば言語が変わり、土地が変われば名称が異なる。日本にも「難波の葦は
伊勢の浜荻」という諺があり、「所変われば品変わる」とも言う。インドネシアでbunga 
matahariという花はスエーデンで太陽のバラsolrosと言い、スエーデンでは天使のラッパ
anglatrumpetと呼ばれる花がインドネシアでkecebung gunungとなっている。インドネシ
アのkucaiはスエーデンで中国草バワンkinesisk graslokになり、スエーデンのシトロン
草citrongrasはインドネシアでseraiだ。

それらの違いを克服するために国際共通語を作ってやれば、外国人同士であっても意思疎
通が楽だ。こうしてラテン語を使った共通語が作られた。上述の四種は順番にHelianthus 
annus、Brugmansia svaveolens、Allium tuberosum、Cymbopogon citratusである。

それら「学名」と呼ばれる名称は盲滅法に作られたのでなく、個々の類似性や関係を明ら
かにするために目・科・属・種などの階層構造を設けて名称のシステム化が行われた。こ
のシステムのおかげで世界中の人間が、自分の母語における名称と学名を知っていれば、
世界中の相手との情報交換を行えるようになった。こうならなかったなら、世界中の人間
を相手にする場合、相手になる人間の言語の数だけ言葉を知っていなければ情報交換がで
きないことになる。

これは確かに効率がよい。しかもラテン語が選択されたというのは、当時のヨーロッパで
学術言語がそれであったからという理由が大きい要因だったにせよ、どこかの民族の生活
言語でなかったという帰結がもたらされたことは、平等という観点から見たとき、われわ
れを心地よくしてくれるものになっている。

現代世界では英語が国際共通語にほぼなっているから、同じではないかと考える人もいる
だろうが、英語の場合は話が違う。世界人口の4%強が英語を日常生活の言語にしている。
英語という国際共通語は、外国語学習をしなくても困らないひとびとがそれだけいるとい
うことだ。その不公平さが感じられないひとびとは幸いなるかなだろう。


タクソノミーの父と呼ばれるスエーデン人カール・フォン・リニアCarl von Linneは、1
761年にノーベル賞を与えられて貴族に叙せられたあと、ラテン語式にCarl Linnaeus
(ラテン語読みリンナイウス、スエーデン語読みはリニウス)と書かれることもなされた。
日本語ではリンネと呼ばれているので、本稿では日本語一般名称を使うことにする。

1707年にスエーデンのラスルツRasultで生まれたリンネは幼いころから植物に強い興
味を持ち、しかも蓄えた知識が大人を驚かせるほどのものだったことから、息子を自分の
跡継にしようと考えていた牧師の父親も、自身が植物への深い造詣を持っていたために、
息子を神学校にやらず、医者として生きる道を歩ませた。

リンネはルントLund大学とウプサラUppsala大学で医学を修得した。だが植物への興味に
駆られてかれはスエーデンの島々を渉猟し、珍しい植物を採集することを好んだ。173
2年5月にはラップランドLapplandへの調査旅行を行って、Flora Lapponicaというタイ
トルの記録を残している。

ドーラナDalarnaの知事が域内の有用資源発見のための調査を行ったとき、リンネもそれ
に参加し、かれはそこで運命の女性サラに出会った。ところが、サラの父親がふたりの恋
の成就に条件をつけた。リンネに博士号を取れと言う。

リンネは博士論文を書き上げると、オランダのハーダーウェイクHarderwijk大学に自分の
著作「自然の体系」Systema Naturaeと植物標本を合わせて持ち込み、博士号を求めた。
博士号が下りるのに一週間もかからなかったと言う。

オランダで「自然の体系」が出版されて、リンネはオランダで一躍著名人になった。かれ
はオランダのあちこちにある植物園でひっぱりだこになり、それに応じるのに大わらわだ
ったようだ。オランダで新進気鋭の植物博士になったリンネは1738年にスエーデンに
戻り、運命の女性サラと婚約した。サラの父親は再びリンネに求めた。家族を養うために
は職業を持たなければならないと。

リンネはストックホルムで医者の看板を掲げたが、スエーデン人は気心の知れた相手しか
医者として信用しない。患者になってもらうためには、まず友達にならなければならない
ということだ。オランダでは植物学のプリンスと呼ばれて世間で知らぬひととてないこの
わたしも、スエーデンに戻れば形無しだ、とかれは愚痴っている。[ 続く ]