「デリ、スマトラ(6)」(2021年04月06日)

19世紀半ばのプリブミ社会はファン・デン・ボシュの栽培制度によって激しい貧困に落
ち込んでしまった。貧困から脱け出してよりよい生活を得ようと憧れるプリブミの数は少
なくなかった。金のなる木が生えるデリの地で一旗上げるという話は、プリブミたちの希
望をそそるに十分なものだったようだ。

ところがその金のなる木は資本家と経営者たちのものなのであり、農園労働者はその木に
金をならせるために働かされ、縛り付けられ、搾取され、奴隷にされるだけだった。分け
前など何ひとつ与えられず、ただただ体力を搾り取られるだけだった。経営者や管理者た
ちは労働者を同じ人間と見なさず、自分たちとは別の存在と見ていた。その見解は現実の
扱いを通して労働者たちにそれを反映する精神をもたらした。

「かれらは意欲・自由・権利などを喪失してしまった。かれらは新しい人間にされてしま
ったのだ。祖国も家族も伝統も持たない、新しい種類の人間に。」マデロンは主人公ルキ
にそう語らせている。

女クーリーはもっと悲惨だった。契約した女クーリーが農園に到着するや否や、かの女た
ちはまるで品物のように、古参の男クーリーに与えられた。持ち主はかの女を自分の女に
してもてあそび、飽きると自分の手下に下げ渡した。女は農園作業を行った上に、男クー
リーの性欲発散の道具の役目をも務めなければならなかったのである。


オランダやイギリスあるいはアメリカからスマトラまでやってきて農園経営に当たった支
配人たちが資本オーナーだったとは限らない。むしろ雇われ支配人だったケースの方が多
かっただろう。かれらはパーティや社交を好み、自分の成功を証明する富を他人に見せび
らかすことを好んだ。そのために富をかき集めることこそが、かれらにとっての最大関心
事だったのだ。

農園経営が大成功を収めれば、自分の経営手腕が認められ、自分の価値が高まり、高額の
報酬が手に入る。その心的圧力は出身階層が低い人間ほど強くなるものだ。かれらにとっ
て、デリの農園は自分の理想を実現させるための舞台なのである。植民地の黒や褐色の人
間は自分の理想のための道具でしかなく、自分の持っているヒューマニズムを投影させる
に足る者たちではなかった。植民地主義時代の原理になっていた観念をかれらが体現して
いたことは言うまでもあるまい。

農園経営に資本家側として加わった西洋人たちのたいていは冒険主義者だった。たとえ同
国人同民族であろうと、自分の成功を目指す行動の邪魔になる同僚は蹴落とすだけである。
中間管理層として農園に雇われた西洋人の間で起こった競争や抗争も決して珍しいもので
なかった。マデロンはそこまで、デリの農園で起こったさまざまなできごとを小説の中に
活写している。


メダンを中心にする東スマトラはそのようにして異人種異文化が混在するヌサンタラトッ
プクラスのマルチ文化エリアになった。アメリカやヨーロッパ諸国からやってきた種々の
西洋人、ジャワから来たIndo、ジャワの肉体労働者がメインを占める前のインド人や華人、
ジャワから来たプリブミの中にもインテリ層とブルーカラーが含まれて、複合雑多な文化
が東スマトラの社会生活を変化させていった。その複雑さと活発さはバタヴィアをしのい
でいたという評価もある。

さまざまな言語の新聞が発行され、プリブミ知識層向けの急進的新聞ははやばやとムルデ
カの言葉を交えた論調を記事にし、1915年にはBenih Merdekaを名称にする新聞がデ
リに出現した。[ 続く ]