「イギリス人ウォレス(13)」(2021年04月27日)

風向きが変わるまで、ウォレスはドボ近辺の自然の中で標本採集を行ったが、最初来たと
きよりも生き物が減っている印象を受けた。極楽鳥をもっと手に入れようと考えたウォレ
スは助手のアリをワヌンバイのかれらが泊った家に送った。その代金としてかなりの枚数
の銀貨を持たせたが、アリは熱病にかかって数日間その家で手当てを受け、病気の癒えた
あと、素晴らしい極楽鳥を16羽持ち帰って来た。しかもそれに見合うだけの銀貨と交換
され、残りの銀貨は騙されたり強奪されたりしないでそのままウォレスの手に戻ったので
ある。ウォレスは再び、ワヌンバイの未開人たちの人柄に感動した。

いよいよ6月の終わりになった。東からの強風が吹くようになれば、ドボに集まっていた
ひとびとはすべて船に乗って故郷に帰る。そしてドボは無人の境になるのである。みんな
が一斉に帰り支度をはじめ、通りは大いに混雑した。船に帆を立て、貨物を積み込み、水
や食糧を積み込んで出帆の準備に余念がない。

そして毎日、アルの島々のはるかな遠隔地からアル人が舟に乗ってやってきた。バナナや
サトウキビをタバコやサゴケーキなどとバーターするためだ。かれらにとってはこのシー
ズンの最期のチャンスなのだから。

7月2日、マカッサルから来た15隻のプラフは一斉に出帆した。船団を組んで帰ること
に話が着いていたのだ。船団はバンダ島の南を通過してから西に進路を取り、ブトン西方
の島影を見るまで三日間、大洋の中を南東からの持続的な風を受けながら走った。マカッ
サルに船が到着したのは7月11日夕方だった。

ウォレスはこのアルの旅をたいへんな満足で終えた。1千6百種9千個の標本がかれの成
果だった。極楽鳥の標本を多数得たことがかれに大きい満足を与えた。それらの標本の生
態とともに、ヨーロッパ社会にとってまったく未知だった未開種族の暮らしを実観察でき
たことも、かれの満足度をさらに高めることになった。


メスマン氏の持ち家に戻ったウォレスは、アルの旅で集めた標本の整理に没頭した。それ
が終わった時、ひと月が経過していた。それをシンガポール向けに発送し、シンガポール
からロンドンに送られた。ロンドンのエージェント、サムエル・ステイ―ブンス宛に送ら
れたそれらの標本は、10万米ドル相当の価値を持っていたそうだ。

ウォレスはまた、自分の銃を修理し、イギリスから送られて来た新しい銃ならびに採集と
標本作りに必要な種々の器材を受取った。そして、年末までどうしようかと考えた。

いろいろと情報を集めた末に、ウォレスはメスマン氏の兄が住んでいるマロスMarosを訪
れることにした。マロスはマカッサルから30マイルほど北にある土地だ。マカッサルの
レシデンから通行証をもらい、舟を雇って夕方マカッサルを後にした。舟は夜中に海岸沿
いを走り、夜明けごろマロス川に入った。村に到着したのは午後3時ごろだった。

かれはすぐに副レシデンを訪れて荷物運び人を10人集めてもらい、ウォレス自身のため
に馬を貸してもらった。夜のうちに運び人が来る手筈になっていたので、明朝早く出発す
るためにウォレスは舟の中で眠った。ところが夜のうちに来たのは一部分で、朝になって
やっと全員がそろい、しかもみんなが軽い荷物を抱きしめようとしてひと悶着あって、荷
物を公平に分けるのに手間取った。やっと8時ごろになって、メスマン氏の兄の農場への
行進が始まった。

兄氏はウォレスを丁重に歓迎してくれ、滞在する間に住む家を数日で建ててくれた。兄氏
は農場暮らしをたいへんエンジョイしていた。イノシシやシカ、野鶏、サイ鳥、ヒメアオ
鳩などが豊富にいて、かれの銃と犬が毎週1〜2頭の食材を作り出す。野牛のミルクもた
くさん採れ、自分でバターを作っている。ウォレスはそこに滞在中、毎朝そのミルクを心
行くまで堪能した。農場の一部でコメとコーヒーが作られ、またタバコすら育てられてお
り、完璧な自給自足が行われている。ニワトリやアヒルを飼っていて、その肉や卵もたっ
ぷり手に入る。たくさん生えているアレンヤシからはニラが得られ、その砂糖はちょっと
した甘いおやつに最適であり、またニラをトゥアッにしてビール代わりに飲む。ウォレス
はニラあるいはトゥアッのことをsaguierと書いている。北スラウェシのミナハサ地方で
は今でもサグエルsaguerという言葉が使われているが、南スラウェシではどうだろうか?
[ 続く ]