「イギリス人ウォレス(14)」(2021年04月28日)

現代のマロスは蝶の宝庫として世界に知られているバンティムルンBantimurungを東の山
系に抱くマカッサル郊外の村だ。世界のだれもがそんなことを知らない時代にウォレスが
そこへやってきたということは実に、奇跡的なできごとのように思われる。ウォレスは自
分の家を出て、助手やガイドと共にバンティムルンに向かった。ただしバンティムルンと
いう地名はウォレスの著書に書かれていない。9月末の、雨季が始まりかかった季節の中
を、3時間かけてかれは蝶の宝庫にたどり着いたのである。ウォレスはその一帯で美しい
新種の蝶を多数捕獲した。

10月に入って雨がちの天候が続くようになると、昆虫が増えるために採集は大いに期待
できるのだが、いかんせん、ウォレスの家は乾季用に建てられているために、大量の標本
に水濡れのリスクが高まる。マロスでの活動を諦めたかれは、11月初めにマカッサルに
戻った。そしてマカッサルからアンボンへ行くために、11月19日にオランダ政庁の郵
便船に乗ったのである。ウォレスはその地名をアンボイナAmboynaと書いているが、現代
インドネシア語のアンボンで通すことにする。


郵便船は蒸気動力で走り、好天のときで時速6マイルだった。この船に乗った客はウォレ
スの他に三人しかおらず、余裕満天のスペースと丁重な待遇を心行くまで楽しめた。これ
まで、こんな愉しい旅は経験したことがないとウォレスは書いている。

客室係サーバントはおらず、乗客が自分で連れて来ることになっている。給仕係は食堂や
サロンで食事に関連したサービスをするだけ。船の中では、午前6時にティ―かコーヒー
が希望者に提供される。7時から8時の間にティ―と卵やサーディンなどの軽い朝食が供
される。10時には、マデイラワイン、ジン、ビターズが11時の本格的な朝食の食前酒
としてデッキに用意される。この朝食は夕食と違わない内容で、ただスープだけがない。

午後3時にはティ―とコーヒー、5時にビターズなどが出て、6時半にビールとクラレワ
イン付きの夕飯、そして8時のティ―とコーヒーでその日の締めとなる。またビールとソ
ーダ水はいつでも頼めるので、航海の日々をひもじく過ごすことは起こらない。

船はマカッサルからティモール島西端のクパンKupangに11月24日に入り、更に島の北
岸沿いを東航してディリDiliに泊まった。11月26日にディリを出ると、次は一路バン
ダBanda島を目指す。

バンダ島到着は11月28日。そしてその翌日、船はついにアンボンに向けて出港した。
バンダ島の住民についてウォレスは、人口の四分の三は混血であり、ムラユ・パプア・ア
ラブ・ポルトガル・オランダがさまざまな割合で入り混じっていると見た。ムラユとパプ
アがベースだが、パプアの方がウエイトが大きい。多分パプア系が最初の土着民であり、
ポルトガルがバンダを占領した時、かれらの一部がケイ島に移って現在に至っているとい
うのがウォレスの見解だった。


バンダ島から20時間で船はアンボンに到着した。ウォレスはドクター・モーニケ宛の紹
介状を持って来た。モーニケ氏はドイツ人で、モルッカMoluccas(現在のマルク)の筆頭
医療担当官である。かれは英語の読み書きはできるのだが話せないので、ふたりはフラン
ス語で会話した。夕方、モーニケ氏はモルッカ行政長官の官邸にウォレスを案内し、行政
長官は滞在中の便宜をはかることをウォレスに約束してくれた。

島の北側内陸部の農園の小屋を3週間借りる手はずを整えていざ向かおうとしたものの、
舟と人手を雇おうとして手間取ってしまった。アンボン人はまったく働こうとしない。や
っとの思いでそこにたどり着き、採集活動を開始した。午前中は出歩き、夕方はたいてい
ベランダで読書し、陽が落ちてから灯火に集まって来る虫を捕る。[ 続く ]