「イギリス人ウォレス(20)」(2021年05月06日)

ふたりはティドーレのスルタンからの紹介状を持って来たのだが、原住民はそれを信用し
なかった。紹介状には、このふたりは善良な人間であり、善良なる意図と目的を持ってパ
プアを訪れると書かれているが、スルタンが言う善良という言葉が信用できないというこ
とだったのだ。

歴史的にパプアは古い時代からテルナーテ・ティドーレ・バチャンとのつながりを持って
いた。14世紀ごろにはパプアの鳥の頭地域がティドーレスルタン国の支配下に落ちて、
乱暴な徴税が行われ、諸権利の執行においてもパプア人に不公平な扱いが行われがちだっ
た。毎年税金を取り立てに来た者が徴税と称して略奪を行い、人間を捕まえて奴隷にした。

ティドーレのスルタン自体がパプア人にとって善良さの欠如した存在と見られていたのだ
から、善良でない人間が善良という言葉を使っても、なかなか信じてもらえないのも当然
だろう。宣教師ふたりはそのあおりを受けたことになる。

放っておけばそのうちにいなくなるだろうと考えて、地元民は宣教師を相手にしなかった。
まったく言葉の分からない土地に投げ出されて、しかも住民が相手にしてくれなければ何
が行えるだろうか?男たちがみんなそっぽを向けば、あとは女と子供にアプローチするし
かない。それでもふたりは相手にしてくれる人間から言葉を学び、ウォレスが来たとき、
オットー師はたいへん流暢に現地語を話していた。

ガイスラー師は踵に潰瘍を患い、半年ほど家から出られない状態になっていたので、オッ
トー師だけが船にやってきた。ウォレスは宣教師の家に案内され、ガイスラー師とそのド
イツ人の若い妻と一緒に朝食を摂った。夫人は英語もムラユ語も話せなかったので、ウォ
レスとは何も会話ができなかった。

宣教師たちは聖書の現地語への翻訳を進めているものの、現地語はあまりにも語彙が貧し
く、ムラユ語の単語をたくさん使ってその穴埋めをしなければならない。そこでの宣教師
たちの活動に原住民があまり好意的でない理由を、ウォレスはかれらが行っているビジネ
スにあると考えた。もちろんウォレスはティドーレスルタンに関わる背景を知らない。

教団はかれらへの給料が低いことの埋め合わせとして、物品売買を許可した。商行為なの
だから、廉く買って高く売るのは当然のことだ。どこの未開人もそうであるように、パプ
ア原住民も将来のことを考えない。食糧が豊富なときは無駄使いをし、食糧が減ると飢え
る。コメが収穫されると、その大部分を宣教師に売って、ナイフ・ビーズ・斧・タバコそ
の他の必要品に交換する。数カ月後、雨季になって食糧が減ると、コメを買い戻すために
宣教師のところにやってくる。そのためにべっ甲・ナマコ・野生ナツメグなどの品を持っ
て来るのだが、かれらが売ったときの価値よりもはるかに高い。

ビジネスだから当然であり、自分が将来のことを考えないで行った結果がそれなのだとい
うように、果たしてパプアの未開人が考えるかどうか。そうは思えない、とウォレスは書
いている。商業的福音伝道に対して原住民が抱く印象は、教えられる内容への信ぴょう性
を傷付けるのではないか。

われわれが来たのはあなたがたにより良いものを与えるためであるというイエズス会式の
やり方が未開人への布教に際して採られるべきものだろう。未開人から利益を得ながら宗
教上での人間のあるべき姿をいくら教えても、うさん臭さが付きまとうのではないだろう
か、とウォレスはコメントしている。[ 続く ]