「イギリス人ウォレス(35)」(2021年06月02日)

ところがマナウォカ島に接近したころ、逆向きの強い海流に押されて櫂漕ぎがはかばかし
くなくなった。このままでは、マナウォカへの上陸を諦めなければならないかもしれない。
だがもっと危険なのは、バンダ海の大海原に押し流されてしまうことだ。舟にある飲用水
は一日と持たないのだから。

舟が危ないポジションになったと感じた時、ウォレスは櫂を漕ぐ乗組員に酒を飲ませた。
いきなり元気を取り戻した櫂漕ぎ人たちの釈迦力の活躍で、舟は危機を脱して陸地に近付
いて行った。


マナウォカに上陸したウォレスは、屋根のある広いスペースを提供され、そこで休んだ。
そのとき、地元のラジャはゴロム島に出かけていてマナウォカにいなかったが、客人到来
のニュースを使いが届けて来たので、夜中にも関わらずマナウォカに戻って来た。

翌日、ウォレスはラジャの来訪を受けた。この地のラジャについて、ウォレスは3年前に
アル島を訪れた際に会った人物ではないかと予測していたが、その予測が正しかったこと
が証明された。ラジャはたいへん親密にウォレスを遇した。

ケイ島へ行きたいので船と乗組員を用意してほしいとウォレスが頼んだところ、そりゃ難
題だとラジャは顔をしかめた。この時期、島の船と男たちは総出でケイやアルに出かけて
おり、そこへ行くのが困難な船と男たちしか残っていない。ラジャは、一応は当たって見
る、と約束した。その間、ウォレスはマナウォカ島の観察に歩き回った。

マナウォカは長さおよそ15マイルのサンゴ礁でできた島で、内陸部は直立したサンゴ礁
の崖になっており、島内には異なる組成の岩もなく、また自然流水も皆無だそうだ。崖の
上に登る道が何カ所ができていて、その上が島民の野菜畑になっている。

ここの主流派島民はセラム島のムスリム村民よりも純粋なムラユ系の特徴を示している。
ムラユ系のひとびとがここへ定住するためにやって来たとき、先住民は多分いなかったの
だろう。セラム島ではパプア系アルフロスの要素が優勢でムラユ系の特徴はあまり強く出
ていないのに対し、ここはちょうどその正反対という印象だった。ムラユやブギスの特徴
をベースにして、その上に薄くパプア系の特徴が混じった外見は、見映えの良い姿を作り
出している。マナウォカの下層のひとびとは近隣諸島の先住民ではないかと思われ、パプ
ア系の外見が濃い。

ゴロム語はセラム島東端地域から近隣の小島までもが使っている。セラム語との類似点は
たくさんある一方、東インド島嶼部のどこの言語にもない要素もゴロム語に含まれていて、
独自の個性を有しているように思われた。


最終的に舟一隻と5人の男たちが用意され、ウォレスは4月10日にマナウォカを出発し
た。舟は島の海岸沿いを東航する。11日朝、島の東端を通過した。西南西の強風のため
に、舟はワトゥベラWatubela諸島の方角へ舳先を向けることを余儀なくされた。現代イン
ドネシアの地名Watubelaはウォレスの著書にマタベロMatabeloと書かれている。

ワトゥベラまでの距離は20マイルもない。5人の男たちは悪天候と荒波を嫌って航行を
続けることに反対した。ウォレス自身も嫌な感じがしたものの、今回のこのケイ島行きの
チャンスを無駄にするにしのびず、行ってみようと主張した。

乗り出してみたはいいが、激しい舟の揺れにウォレス自身がダウンしてしまうありさま。
三四時間してから、舟板に伸びているウォレスに「ほとんど乗り切った」という男たちの
声がかかった。しかし舟は揺れ続けているから、ウォレスものびたままだ。二時間ほど経
過して揺れが穏やかになって来たので、ウォレスが起き上がって観察して見ると、陸地は
まだまだ遠い。海流は逆方向に強く流れていて、前進がはかどらない。夜になって追い風
が出たので帆を張り、追い風が止むとまた櫂漕ぎを行う。こうしてカシウイKasiui島に午
前4時に到着することができた。ウォレスはカシウイをキシウォイKisiwoiと綴っている。
3マイル進むのに12時間を要したことになる。[ 続く ]