「インドネシア語とマレーシア語(5)」(2021年06月03日)

同じムラユ語源の言葉だからと言って、インドネシア人がマレーシアやブルネイで不可解
な事態に直面するのが日常茶飯事であることは、たくさんのインドネシア人が書いている
通りだ。アルヤ・グナワン氏は2007年にこう書いた。

ブルネイ王国バンダルスリブガワンBandar Seri Begawanのスルタン通りを歩けば、さま
ざまな看板が目に入る。港湾管理事務所に続いて道路沿いに軒を連ねている商店の看板に
は、Restoran Rosmawati binti Kamis dan Anak-Anak, Kedai Jam Timur, Restoran Gerak 
Bersatu, Syarikat Optik Bantu Cerah, Kedai Emas dan Jam Bermutu Tulin, Syarikat 
Optik Anak Besarなどが記され, 更にGedung Serbaneka Indah Mewah Sdn Bhdにつながる。
それを見てインドネシア系ムラユ人は眉根を寄せるかもしれないし、あるいは素朴な笑み
を浮かべるかもしれない。インドネシアに流通しているセンスとかなりかけ離れた印象を
受けるからだ。

インドネシア人がsia-sia(無駄)という意味で使うpercumaが、マレーシアやブルネイでは
gratis(無料)の意味で使われている。それに合わせようとするなら、cuma-cumaの形にし
てはじめて合致する。マレーシアとインドネシアで尊称の二人称として使われているAnda
は、ブルネイに来るとawdaになっている。

ちょっと困るのはperiuk apiなるものだ。だだっ広い草地に[Awas, Periuk Api!]という
立札があったとき、たいていのインドネシア人はその意味を明確に理解せず、悠然とその
草地に入って行くことだろう。その無知が生命にかかわる事態を生じるかもしれないにも
かかわらずである。同じムラユ単語だというのに、これはいったい何たることだろうか。

バンダルスリブガワンで同氏はこんな新聞記事を読んだ。
Satu periuk api berkuasa tinggi meledak di bawah sebuah bas yang padat dengan 
penumpang dan kanak-kanak sekolah di utara Sri Lanka hari ini, membunuh 64 orang, 
kata tentara.
インドネシア人はそれをranjau darat(地雷)と呼んでいる。


上のブルネイ語記事はインドネシア語と8割以上同じという印象を肯定するものだが、次
のような口語表現を比較するなら、果たして読者はマレーシア語とインドネシア語をどれ
ほど同じと思うだろうか?
Aku ngan die gi kedai nak beli makanan skit, pastu kitorang makan same-same.
これはインドネシア語でこうなる。
Gue ama dia jalan ke toko buat beli makanan, trus kita makan bareng.
これを比較するなら8割以上が違っていると言えるに違いあるまい。


現代のムラユ系言語には牛を指す単語がふたつあるのに、インドネシアとマレーシアでは
その扱いが異なっていることをサロモ・シマヌンカリッ氏が書いている。

インドネシアではその二語が同義語として扱われているのだが、マレーシアでは異なる定
義がなされている。マレーシアの官製国語辞典Kamus Dewanによれば、各々の定義は次の
ようになっている。
[lembu] sejenis binatang ternakan untuk mendapatkan susu dan dagingnya, 
Bos longifrons, Bos brachyceros
[sapi] binatang yang rupanya seperti lembu dan berwarna hitam, Bos indicus
Bos indicusというのは、いわゆるコブウシのことだ。ある資料では、サピはジャワ語源
となっている。[ 続く ]