「インドネシア語とマレーシア語(6)」(2021年06月04日)

料理のメニューにtelur mata sapiというものがある。鶏卵をかき混ぜないで炒めるもの
で、黄身が割れないように細心の注意が払われる。インドネシアではサピとルンブが同義
語とされているのに、telur mata lembuというメニューは存在しない。ところがカムスデ
ワンを調べると、マレーシア人はtelur mata sapiとtelur mata lembuの両方を同義語と
して使っていることがわかる。

ただし、マレーシア人の日常生活でその使用頻度が五分五分なのか偏りがあるのかは分か
らない。調査をしたい方はクアラルンプルへ行って屋台の食べ歩きをしてくださいとサロ
モ先生は書いている。

マレーシアではルンブがほぼ全国で使われている一方、インドネシアではサピの方がルン
ブよりも広く使われている。とは言っても、北スマトラ地方ではルンブを使うひとがかな
りいるようだ。しかしインドネシアの牛肉はメインが輸入ものなのであり、輸入肉牛は慣
用的にサピの語で表現されている。政府が輸入される肉牛をサピと呼ぶことで、一般家庭
やレストランに回って国民の口に入る牛肉はすべからくダギンサピdaging sapiになる。
lembuは一般国民の日常生活において、ほとんど廃語に近い状態になっているように見え
る。


スジョコ氏は、インドネシア語のOlimpiadeはオランダ語に由来しており、マレーシアで
は英語由来のOlimpikが使われていることを随想に書いた。OlimpiadeはAgustusに開かれ
るが、OlimpikはOgosに開かれるのである。Ogosとは英語Augustの借用語だ。

英語はOlympic Gamesと言い、オランダ語ではOlympische Spelenと言った。インドネシア
ではpesta Olimpiade、マレーシアはsukan Olimpikと称する。スジョコ氏はそれも宗主国
語の影響だと語る。Spelenはpermainanを意味しており、olahragaではない。だから人間
が遊び楽しむものというインドネシア人の理解がpestaを選択させた。Gamesも同じだ。や
はりpermainanを意味していることから、マレーシア人も同じような意味の言葉を選択し
た。ただし、選ばれたのはジャワ語由来の言葉だった。昔からマラヤ半島やシンガポール
にたくさんのジャワ人商人が住み着いており、ジャワ語はそれらのムラユ地域でなじみの
ある言葉になっていた。

ジャワ人はsuka-sukaanあるいはbersuka-sukaanをsukanと発音した。bersuka-sukaanは
berpestaと同義である。マレーシア人は好きな物事やお好みの意味でsukaanという言葉を
使う。インドネシア語のkesukaanと同じだ。このkesukaanはkegembiraanと同義になって
いる。

kesukaanのことをジャワ人はkasukanと言った。kasukaanではなく/a/がひとつになるので
ある。大いに楽しむ強意の重複形がsukan-sukanであり、単体のsukanがインドネシア人の
pestaと同義語として取り上げられ、マレーシア人はsukan Olimpikとこの世界の祭典を呼
んでいる。


いくら旧宗主国がイギリスだったからとはいえ、マレーシア人も英語の語彙をそのまま借
用語にしてマレーシア語の中で使うようにしているわけではない。上記対照表のひとつを
見れば明らかで、むしろインドネシア人の方がそのまま英語に飛びついている印象を感じ
ないでもない。

たとえばopen houseという熟語だ。学校や大学や工場や官邸などが一日、誰でも自由に中
に入って好きなように建物内を見ることができるようにする活動をその言葉は意味してい
る。住宅地開発会社がサンプル家屋を購入希望者に見せるために建てたものも、オープン
ハウスと呼ばれることがあるし、ルバランやクリスマスや新年に大統領や他の政府高官職
者が自邸の門を開放して、誰でも自由に入って挨拶できる機会を国民に与える活動もそう
呼ばれている。[ 続く ]