「イギリス人ウォレス(38)」(2021年06月07日)

ウォレスはマナウォカで小型プラフを一隻、100フローリンで購入した。かれはそれを
自分の航海に最適な形に改造する意向だった。ゴロム島にケイの船作り職人が数人移住し
ているから、改造作業はゴロムで行う方が楽だというアドバイスに従って、そのプラフを
ゴロムに運ばせた。

ウォレスがこの船で長い航海をするための最適な仕様にするのがプラフ改造作業の目的だ
ったのだが、作業が始まったとき、ウォレスは自分の採集活動を中止しなければならなく
なったことを悟った。かれ自身が改造現場に常にいなければ作業が行われないことが判明
したからだ。おまけに船の内部改造はウォレス自身が行わなければならないことも明らか
になった。ふたりの助手に手伝わせて、ウォレスは内装作業に取り組んだ。

自分たちの船がこれまで見たこともないような形に改造されていること、白人がそれを自
力で行っていること、それらの信じられないような事実が展開されているのを知って、大
勢の原住民がたいへんな興味を抱いて見物にやって来た。

改造作業のために雇った者たちはたいへん時間にルーズであり、あれこれさまざまな言い
訳を用意して、半日くらいしか働らかない。そもそも、食べ物が何もないからという理由
で、全員が給料の前借を要求するのである。ウォレスが前借を与えると、翌日は必ずやっ
て来ない。ニ〜三人を超えて揃う日は滅多になく、ウォレスが二度と前借を了承しなくな
ると、二度と顔を出さなくなる者が少なからずいた。ウォレスは月給でかれらを雇ってい
るから、月給を取りながら一日も働かないのは犯罪行為だ。ウォレスは村警察に訴えて、
犯罪者への措置を行った。金を返すか、それとも働くか、である。

そんな苦労をして、プラフの改造はやっと終わった。ケイ人船作り職人5人が改造作業の
最後まで残った者たちだった。いったい何人がウォレスのプラフ改造作業に関わったのだ
ろうか?


悲惨な突発事件が起こったのはそのころだった。数カ月前にパプア貿易に出たこの村のプ
ラフが土着民に襲われて14人が殺されたのである。その一行はパプア島南西部のエッナ
Etna湾にあるラカヒアLakahia島対岸の村に上陸して、現地の村人とナマコの取引をして
いたところ、襲撃されて皆殺しにあった。プラフの番をしていた6人はすぐさまボートで
海上に逃走した。飢えと渇きにさいなまれながら海を渡ったその6人が村に帰って来てそ
の事件を報告し、村中が悲嘆にくれた。

殺された14人の中にラジャの息子もいた。他の者もすべて村人や奴隷たちであり、夫・
兄弟・息子や遠縁の者を奪われた女たちが立てる嘆きの合唱が夜中まで村の中に満ちた。
言うまでもなく、ラジャの家は夜遅くまで混雑した。ウォレスはかれらに同情した。

パプア島南西部海岸のその地域はプリブミ商人たちにPapua KowiyeeあるいはPapua Onen
と呼ばれており、反逆的で血に飢えた部族が住んでいることでよく知られている。探検時
代の初期にその地域を訪れたヨーロッパ船の指揮者や乗組員もしばしば殺された。昨今で
も、犠牲者が出ないまま一年を終えた年はほとんどない、とウォレスは書いている。

生還した者たちの報告によれば、一行は数日前にその地に上陸して海岸で野営し、プラフ
は近くにある小さい川に乗り入れて停泊した。そして土着民とナマコの取引の商談を行っ
ていたとき、襲撃が始まったそうだ。

一行はその地域の特徴を熟知しており、土着民の性質も十分に知っていて、たいていは毎
年同じ村にやってきて商売するから、相互に顔見知りという信頼感が商売の中に反映され
る。ゴロムやセラムの商人たちはあまり攻撃的でなく、誠実に商売を行っており、相手を
威嚇したり騙したりして法外な利を得ようとするようなことをしない。ましてやそこの土
着民の性質を熟知しているのだから、相手を怒らせればどんな結果がもたらされるかは容
易に想像がつくはずだ。[ 続く ]