「インドネシア語史(終)」(2021年06月17日)

   関心の寄せられるべき他の問題は、インドネシア語の急激な発展が地方語に与える
影響である。インドネシア語は外国語、中でも英語、より下位にあると見られてはいても、
地方語の上に位置する言葉と認識されている。それゆえに、インドネシア語が地方語に及
ぼす影響を避けることはできない。インドネシア語は地方語に影響を及ぼすだけでなく、
地方語をマージナルな位置に追いやって徐々に消滅に向かわせる傾向を生み、それを母語
にしていた人間さえそこに巻き込んでしまう。インドネシア語に圧迫されて今や既に消滅
してしまった地方語がいくつもある。

1945年憲法第36条の解説に「民衆が健全なあり方で維持する独自の言語を持つ地方
では・・・それらの言語は国が尊重して育成する。それらの言語は生きたインドネシア文
化の一部をなすものである。」と述べられているように、政府は地方語の育成発展の義務
を与えられているにもかかわらず、これまで計画的継続的にそれが行われたことはなかっ
た。

憲法第32条には文化について「政府は国民文化を進歩させる」と記されているにもかか
わらず、地方語の育成発展はいつも民間の支援者にゆだねられるだけだった。地方語は国
民文化と考えられるものなのだから、政府自らがそれをしなければならないというのに。
さまざまな地方語を襲ったその不運は次のふたつのポイントが原因だった。

一、青年の誓いの内容に関する誤解の存在。
青年の誓いの三つの項目の第三項目は「インドネシア語という統一言語を奉持する」が正
しい文であるというのに、その三つの項目は同一句型にされ「ひとつの祖国、インドネシ
アの地、ひとつの民族、インドネシア民族、ひとつの言語、インドネシア語を認知する」
という形でしばしば述べられてきた。22年間も続けられてきたその思い込みによって、
地方語は生存権を持たないという誤解にまで発展した。わたしが1977年11月のコン
パス紙に「すり替わった誓い」という論説を書いたことで、その誤解がやっと認識される
ようになった。

二、地方語は開発の障害になり得る伝統社会の階層構造に深く関わっているものだという
見解の存在。

それらふたつのポイントが政府の言語政策に強い影響をもたらした。地方によっては、学
校へ上がるようになった子供たちへの教育指導の媒介語を、引き起こされる帰結への配慮
もなしにインドネシア語に替えてしまった。新入児童たちがすべてインドネシア語になじ
んでいるとは限らないというのに。

広範囲な地方自治法の施行によって、この先地方語に関する見解が変化していく可能性は
もちろんあるが、半世紀にわたって放置されてきた地方語の多くはきわめて悲惨な実態を
呈している。その育成発展にはおざなりでない真剣な対応が必要とされている。インドネ
シア語と地方語は歩を同じくして発展するべきものだ。そうなることによって、ビンネカ
トゥンガルイカの国章が真の意義を持つのである。[ 完 ]